2011年10月1日土曜日

誰だって


私はショッピングモールの前で車を磨いていた。洗車から戻ってきたばかりで、妻が仕事を終えるのを待っていた。その時、私の方に、世間ではホームレスと考えられる男がやってきた。

身なりからすると、車もなく、家もなく、きれいな洋服もなく、お金も無いようだった。こういう場合、やさしい気持ちになったり、かかわりたくないと思ったりするものだが、今回はかかわりたくない気分だった。「金を恵んで欲しいとやって来なければよいが」と思った。

男はそうは言わなかった。
男は近づいて来て、バス停の前の縁石に腰を下ろしたが、バス代さえも持っているようには見えなかった。しばらくして男が言った。

「いい車じゃないですか。」

男はみすぼらしかったが、威厳を漂わせていた。モジャモジャのブロンド髭は、暖かさ以上のものを男に提供しているようだった。

私は「どうも」と言って、そのまま車を磨き続けた。

私が作業をしている間、男は黙って座っていた。金を乞われるとばかり思っていたが、それは全くなかった。

そのまま二人の間に沈黙が広がると、私の心の中で何かが「助けが必要か聞いてみろ」と語りかけてきた。もちろん男は「必要だ」と言うに決まっている。でも私は心の声に従った。

「何か助けが必要ですか」私はたずねた。

その時、男は私が決して忘れないであろう、素朴だが奥の深い返事をした。

私たちはよく偉人の知恵を求めようとする。それは知恵というのは、多くを学び、偉業を成し遂げた者から来ると信じているからだ。だから、私はただ男の薄汚い手がこちらに差し伸べられるのを期待していた。
だが、返ってきた男の言葉に私は衝撃を受けた。

「それは、みんなそうでしょう?」

12口径のショットガンで打たれたような衝撃だった。それまで私は自分が偉く力があり、成功していて重要で、路上のホームレスなどより優れていると思っていた。

「それは、みんなそうでしょう?」

考えてみれば、確かに私も助けを必要としている。たとえバス賃や寝る場所ではないにしても、確かに必要としているのだ。私は財布に手を伸ばし、バス賃だけでなく、暖かい食事と今晩の宿代に十分なくらいのお金を渡した。ほんの何気ない言葉だったが今でもその通りだと思っている。どれだけたくさん物を持っていようが、成功していようが、誰だって助けは必要なのだ。逆に、自分はほとんど何も持っていなくても、問題をたくさん抱えていても、たとえお金や寝る場所さえなくても、人を助けることはできるのだ。
ちょっとした褒め言葉でも、人に与えることはできる。

もう何もかも全てを持っていそうな人でも分からない。
そんな人でも、彼らが持っていないものが与えられるのを待っているかもしれない。それは、人生の異なる見方だったり、ちらりと美しいものを垣間見ることだったり、雑多な日常からのひと時の休息といった、人それぞれの視点からのみ、うかがうことができるものかもしれない。

その男は単なるホームレスで路上をウロウロしていただけかもしれない。そうではないかもしれない。

偉大で英知のある力により、自己満足しきっている魂の救済にやって来たのかもしれない。

神様がこの世を見下ろし、天使を呼んでホームレスのような格好をさせ、こう言ったのかもしれない、「あの車を磨いている男を助けに行っておくれ、助けを必要としているようだ。」

それは、みんなそうでしょう

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2011年9月19日月曜日

奇跡の値段

テスは、おませな8歳の女の子で、ママとパパが弟のアンドリューの話をしているのを聞いていた。テスに分かったのは、弟は重い病気だが、両親にはお金が全然ないということだった。パパには治療費と家のローンを払うお金がないので、翌月にはアパートに引っ越すことになっていた。今や高額の手術のみが弟を救えるかもしれなかったが、だれもそんなお金を貸してくれそうになかった。パパが涙ぐんでいるママに、「もう奇跡でも起こらない限りは助からないよ…。」とすっかり落ち込んでささやいているのが聞こえた。

テスは自分の寝室に行き、クローゼットの隠し場所からジャムのあきビンを取り出した。テスはそこに貯めていた小銭を床にひろげ、注意深くかぞえた。3回もかぞえなおした。合計金額は正確でなければならない。今回はまちがいは許されない。小銭をあきビンに注意深くもどし、ふたをして、テスは裏口からこっそりと出かた。6ブロック先の、インディアン酋長の看板が目印のレクソール薬局に向かった。

テスは薬剤師が気づいてくれるのをじっと待っていたが、他のことに気を取られているようだ。足で床をこするような音をたててみたが、気づいてもらえない。今度はできるだけ不愉快な音で「エヘン」と喉をならしてみた。やはりダメだ。

ついにあきビンから25セント硬貨を取りだし、ガラスのカウンターの上にバンと音をたてて置いてみた。今度はうまくいった!

「それで、一体なにが欲しいんだい?」薬剤師はイラついた声でテスに聞いた。「もう何年も会ってなかったシカゴの兄さんと話してるところなんだけどね!」とテスの返事も待たずにいった。

「弟のことで来たのよ!」テスは同じようにイラついた調子で答えた。
「弟はとってもとっても重い病気だから、奇跡が欲しいの。」

「何だって?」薬剤師がいった。

「弟はアンドリューというのだけど、頭の中に悪いできものができていて、パパはもう奇跡しかアンドリューを助ける方法はないって言うの。それで奇跡はいくらで買えるの?」

「…ここでは奇跡は売っていないよ、お嬢さん。申し訳ないけどお役に立てないよ。」薬剤師はいくらか口調をやわらげていった。

「ねえ、お金ならあるのよ。もし足りなければ取ってくるわ。だからいくら?」

薬剤師の兄である身なりのよい紳士が、かがみ込んで少女に、「君の弟はどういった奇跡が必要なんだい?」とたずねた。

「良く分からないわ。」テスは目に涙をいっぱいためて答えた。「ただ重い病気でママは手術が必要だと言っているわ。でもパパにはお金がないから私が払ってあげたいの。」

「それで君はいくら持ってるんだい?」シカゴから来た紳士はたずねた。「1ドルと11セントよ」テスはほとんど聞き取れないような声で答えた。「今もっているのは、それで全部。でももっと必要なら何とかするわ。」

「いやあ、偶然だね!」紳士は答えた。「1ドル11セントは弟の奇跡にちょうどピッタリの額だよ。」

紳士は1ドル11セントを片手ににぎりしめ、もう片方の手で手袋をはめているテスの手を握って言った。「君の家につれて行ってくれないか。君の弟とご両親に会いたいんだ。僕が君の必要としている奇跡をもっているか確かめてみよう。」

この身なりの良い紳士はカールトン・アームストロング博士という脳外科医だった。手術は善意で行われ、アンドリューはまもなく元気になって家にもどることができた。ママとパパは現在に至る一連の出来事についてうれしそうに話した。

「あの外科医こそまさに奇跡だったわ」ママはささやいた。「実際はどれくらいお金がかかったのかしら?」

テスは微笑んだ。テスは奇跡がちょうどいくらか知っていた。1ドル11セント、それに小さな女の子の信念だ。

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http://peacefrompieces.blogspot.com/2010/10/how-much-does-miracle-cost.html


 

感謝の授業

ある学業優秀な若者が、大企業の役職に応募した。
若者は面接を通過し、取締役が最終面接を行った。
取締役は履歴書を見て、若者の学業成績が高校から大学院の研究に至るまでずっと優秀で、そうでなかった年は一度もないことを確認した。

「君は、奨学金か何かもらったのですか?」取締役はたずねた。
「いいえ」若者はこたえた。
「では、君のお父さんが学費を払ってくれたのですか?」
「父は僕が1歳のときになくなりました。母が学費を払ってくれたのです。」
「君のお母さんは何をして働いているのですか?」
「洗濯屋として働いています。」
「では、君の手を見せてもらえるかな?」
若者はなめらかな両手を広げた。
「君はお母さんの洗濯を手伝ったことがありますか?」
「いいえ、ありません。母はいつも僕に、勉強してたくさん本を読んでもらいたいと言っていました。それに母は僕より早く洗濯物を洗うことができます。」
「君にひとつお願いがあるのだが、今日家に帰ったらお母さんの手を洗ってあげなさい。そしてあすの朝、またここで会うことにしよう。」

面接後、若者はあともう一息でこの仕事が手に入りそうだと感じた。そこで家に帰ると、喜んで母親の手を洗いたいと申し出た。母親は変な気分だった。息子の申し出はうれしかったが、とまどいを感じながらも両手を差しだした。

若者は、ゆっくりと母親の手を洗った。洗ううちに涙がこぼれてきた。生まれてはじめて、母親の手がもうこんなにしわだらけで、なま傷が絶えないのだと気がついた。いくつかの傷はとても痛々しく、水で洗うと、母親は痛さに身をふるわせた。

若者は、生まれてはじめて、毎日のように洗濯物を洗うこの両手のおかげで学費を払うことができたのだと悟った。母親の両手の傷は、自分が優秀な成績で卒業し、明るい未来を手にするための代償だったのだ。母親の手を洗ったあと、若者は残っていた洗濯物を何もいわずに洗った。その夜、母親と息子は長いあいだ話し合った。

翌日、若者は役員室にでかけた。
取締役は、若者の目に涙が光っているのに気づいた。
「昨日どうしたのか話してもらえますか?」
「母親の手を洗いました。それから残りの洗濯物をすべて洗いました。」
「どういう気分だった?」
「ようやく、感謝ということを学びました。母親なしでは、僕は優秀な学業を修めることはできなかったのです。母親を手伝いながら、ようやく何かをやり遂げるということがいかに難しくて大変なのかがわかりました。家族のきずなの大切さとその価値の重さに感謝するようになりました。」
「そうか、それこそこの仕事に求めているものだったんだよ。私は他人がやる仕事にちゃんと感謝できて、その大変さを分かってあげられて、お金だけを人生の目的にはしないような人が欲しかったんだ。君を雇うことにしよう。」

その後、若者は一生懸命はたらき、部下から尊敬されるようになった。チーム一丸(いちがん)となって懸命にはたらき、会社の業績はすばらしく向上した。

~ ~ ~

いつも守られ、なんでも与えられているこどもというのは、いわゆる「特権意識」を持つようになり、常に自分を優先するようになる。両親の苦労には気づかない。仕事につくと、みなが自分の意見に従うべきだと考え、役職につくと、部下の苦労には気づかず、いつも自分以外の他人を責める。

こういった人間は、学業成績が優秀でしばらくはうまく行ったとしても、そのうち達成感を感じられなくなる。不満と憎しみだらけでもっとたくさん争って手に入れようとする。もし今、自分がこういった過保護な親なら、こどもに愛情を注いでいるのではなく、こどもを台無しにしているのではないだろうか。

大きな家に住まわせ、おいしい食事をあたえ、ピアノを習わせ、大画面のテレビを与えても、草刈などの家の手伝いはやらせよう。

たとえば食事のあとは、きょうだい全員で皿を洗わせてみよう。お手伝いを雇うお金がないからではなく、いくらお金持ちの両親でも、いつかは例の若者の母親のように年を取り、いつまでもめんどうはみられないということをわからせるためだ。

一番大切なのは、こどもたちが、苦労に感謝し、困難に立ち向かい、他人と協力してものごとをやりとげる方法を学ぶことだ。

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2011年8月15日月曜日

泣き言をお許しください

今日バスで金髪の少女を見かけた。
とても明るい感じの少女が羨ましかった。
あれくらい色が白ければいいのに、と思った。
その時突然少女はバスを降りようと立ち上がった。
少女が足を引きずりながら通路を歩くのが見えた。
片足しかなく、杖をついていた。
それでも横を通り過ぎるときに、ニッコリと微笑んだ。

神様、どうか私の泣き言をお許しください。
私には両足があります。私はとても恵まれています。

飴を買おうと売店に立ち寄った。
売り場の青年はとても魅力的だった。
青年と立ち話をしたが、とても嬉しそうだった。
少しくらい遅れてもどうって事はないだろうと思えた。
立ち去る際に、青年は、
「ご親切にしていただき、どうもありがとうございます。
あなたのような方と話をするのは楽しいです。
私はこの通り目が見えないもので」と言った。

神様、どうか私の泣き言をお許しください。
私は両目が見えます。私はとても恵まれています。

その後、通りを歩いていると青い目の子どもが目に入った。
その子は他の子が遊んでいるのを眺めていた。
一緒に遊びたいのにどうしたら良いか分からない、という感じだった。
私は一瞬立ち止まって、それから言った。
「ほら、仲間に入れてもらえばいいのに。」
その子はじっと前を見つめたままだった。
ようやく、この子は耳が聞こえないんだと気がついた。

神様、どうか私の泣き言をお許しください。
私は両耳が聞こえます。私はとても恵まれています。
私には、行きたい所に運んでくれる足があり
輝く夕日を見つめる目があり
知りたいことが聞こえる耳を持っています。

神様、どうか私の泣き言をお許しください。
私は本当に恵まれています。世の中はすべて私次第です。

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女性の美徳

女性を創造したとき、神様は第6日目の夜おそくに作業を行っていた。
天使が立ちよって、「なんで、そんなに時間をかけるのですか?」とたずねた。

神様は次のようにこたえた。
「女性を創るのに必要なスペックを全部見たかね?
洗えるがプラスチック製ではなくて、200以上の動くパーツがすべて交換可能で、
どんな食事でも機能できて、こどもを一度に数人かかえられて、
ひざ小僧のケガから傷ついた心までなんでも癒してしまうハグ(抱擁)ができる、
しかもこういったことすべてを2本の手だけで行わなければならないのだよ!」

天使は感心した。
「たった2本の手で?それはムリでしょう!
これが標準的なデザインですか?
1日の作業にしては多すぎますよ。
あした完成させればいいじゃないですか。」

「いいや、そうはいかない。」神様はいった。
「もうほぼ完成しそうなんだよ。きっと私の大のお気に入りになるだろう。
具合が悪ければ、自分で治せるし、118時間うごけるんだ。」

天使は近づいて女性にさわってみた。
「えっ、でも神様、ずいぶん柔らかいじゃないですか!」

「そう、柔らかいんだ。」神様はいった。
「でも強くもある。君にはきっと、女性がどれだけ多くのことに耐えて克服できるか、想像もつかないだろう。」

「考えることはできるのですか?」天使はたずねた。

「自分で考えられるだけでなく、物事を判断したり、交渉したりもできるよ。」
神様はこたえた。

天使は女性のほおに触れてみた。
「神様!なにか漏れているみたいですよ!負担のかけすぎじゃないですか?」

「漏れているんじゃないよ、それは涙というんだ。」神様は天使の言葉を訂正した。

「何のためにあるのですか?」天使がたずねた。

「涙は、彼女の悲しみや疑い、愛や孤独、苦悩や誇りなど、すべてを表現する手段なんだよ。」神様はいった。

これに天使はたいへん感激した。
「神様!あなたは天才ですね。何もかも考えられたのですね。
女性はほんとうにすばらしいです!」

「本当にそのとおり。女性は男性を驚かせる強さをもっている。
彼女はトラブルを処理し、重い負担にも耐えられる。
女性は幸福、愛、信念をもちあわせている。
女性は叫びだしたいときにほほえみ、泣きたいときに歌い、幸せなときに泣き、
怖がっているときに笑うんだ。
彼女は信じるもののために戦い、不正に立ちむかう。
よい解決策があると思えば、「できない」という返事は受けつけない。
家族の成功のためにがんばる。
心配なら友人を医者につれていく。
女性の愛は無条件なんだ。
そして、わが子の勝利に泣き、友人の成功に幸せを感じ、出産や結婚の話によろこぶ。
家族や友人が死ぬと心をいためるが、それでもくじけずに人生を生きていく強さをもっている。彼女はキスとハグ(抱擁)で傷ついた心を癒せると知っている。」

だが、神様は最後にこう付け加えた。
「でもたったひとつ悪いところがある。女性はそういった自分の価値を忘れてしまうんだよ!」

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天秤を傾ける


91歳の女性が長く凛とした人生を送って亡くなった。神様と出会うと、女性は長い間気になっていたことを尋ねた。「もし人間が神の形になぞらえて創造され、みな平等に創られたなら、どうしてお互いをあんなに粗末にあつかうのでしょう?」

神様は、「人生に登場する人々というのはそれぞれ、おもしろいことを教えてくれるのだよ。そして、こうした教えによってのみ、私たちは人生や人間、神との関係について学ぶのだよ。」と答えた。神様の答えに女性は混乱した。そこで神様は次のように説明した。

「誰かがウソをついたときは、物事はいつも見かけ通りとは限らないということを教えられる、真実というのはたいてい表面よりもずっと奥深いところにある。もし人々の心の中を知りたければ、彼らが付けているマスクの奥を見ることだ。そして本当の自分を知ってもらうためには、自らのマスクをはずすことだ。」

「誰かに物を盗まれたときは、永久に存在する物はないということを教えられる。常に今ある物に感謝しなさい。いつ失うか分からないのだから。友達や家族がいるのは決して当然だと思わないように。今日、いや、たった今この瞬間しか、いるという保障はないのかもしれないのだよ。」

「誰かにケガをさせられたときは、人間というのはとてももろい存在だと教えられる。できるだけ自分の体を守り大切にしなさい。自分の体だけが、唯一いつまでも自分が持ち続けられるものなのだから。」

「誰かにあざけられたときは、同じ人間は二人といないということを教えられる。自分と違う人々に出会ったときは、外見や行動で判断してはいけない。そうではなく、心の中身で判断しなさい。」

「誰かにハートを傷つけられたときは、誰かを愛しても、相手も同じように自分を愛してくれるわけではないということを教えられる。だからといって愛に背を向けてはならない。なぜならピッタリの相手を見つけたときには、その喜びは過去の傷を全て癒し、さらにその1,000倍くらいの喜びとなるからだ。」

「誰かに恨まれたときは、誰もみな間違いを犯すということを教えられる。不当な扱いを受けたときにできる最も立派な行いは、不当な扱いを行った者を心から許すことだ。自分を傷つけた人を許すというのは、人生の経験で、最も難しく痛みを伴うものだ。だが、人として最も勇気のある行いでもある。」

「愛する人が不誠実をはたらいたとき、誘惑に打ち勝つということは人間の最大のチャレンジだと教えられる。あらゆる誘惑に負けないよう用心なさい。そうすることで、誘惑に負けて得られる一時的な喜びよりもずっと大きな満足感が永続的に得られるだろう。」

「誰かにだまされた時は、貪欲さが全ての悪の根源だと教えられる。どんなに大きな夢であっても、その実現を目指しなさい。成功に罪悪感を持つことはない。ただ、目標達成に執着するあまり、よこしまな事に関わってはならない。」

「誰かにバカにされた時は、完璧な人間などいないということを教えられる。人の良いところを認め、欠点には寛容でありなさい。本人すらどうすることもできない欠点のせいで人を拒絶するようなことがあってはならない。」

神様の英知を伺った女性は、人の良い行いから学ぶことは何もないのだろうかと気になり、尋ねた。神様は、「愛する力というのは人間が持つ最も偉大な才能なのだ。思いやりと愛の根底にあるものや、ひとつひとつの愛に基づいた行いも教訓となる。」と答えた。
女性の好奇心が膨らんだ。神様は再び説明し始めた。

「人が誰かを愛するとき、愛、思いやり、慈善、誠実、謙遜、許し、承認といった類の事が、この世のすべての悪に対抗できるということを教えられる。ひとつの善行に対し、ひとつの悪行がある。人間だけが善悪のバランスをコントロールする力を持つ。でも愛について学ぶ機会があまり無いので、この力は悪用されがちだ。」

「誰かの人生に関わったら、それが計画的であれ、偶然であれ、何を教えることができるか考えなさい。愛について教えるか、それとも現実の辛さについて教えるか。死ぬときになって、あなたの人生は愛と痛みのどちらが多い結果となるだろう?快楽と苦痛のどちらが多いだろう?喜びと悲しみのどちらが多いだろうか?一人ひとりが愛の方向にこの世のバランスを傾ける力を持っている。だからその力を賢く使いなさい。」

私たちは、この世のバランスを、正しい方向へ傾ける機会を逃してはならない!

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2011年8月14日日曜日

人生はコーヒー


卒業生たちが昔の大学の教授を訪問するために集まった。彼らはみな仕事でかなりの地位を築いていたが、話はすぐに仕事や生活のストレスへの愚痴になった。

教授は、卒業生にコーヒーを出すため、キッチンに行ってコーヒーの入った大きなポットとカップを持ってきた。コーヒーカップは、陶器、プラスチック、ガラス、クリスタル、シンプルなもの、高価なもの、上品なものなどいろいろあった。教授は卒業生に自由にコーヒーを飲むようすすめた。

全員がコーヒーカップを手にしたとき、教授は次のように言った。

「皆さんお気づきでしょうか。見栄えのする高価なカップはすべて無くなっていて、何の変哲もない安いカップだけが残っています。もちろん、最高のものを望むのはごく自然なことですが、それがいろいろな問題やストレスの原因にもなっています。

どうか、カップそのものはコーヒーの質に何の影響も与えないということを思い出してください。大抵の場合、ただ値段が高いというだけですし、時には何を飲んでいるのか分からなくしてしまいます。
飲み物がすっかりそっちのけになってしまいます。

皆さんが本当に欲しかったのは、カップではなくコーヒーだったはずなのに、良いカップに飛びついて、他の人のカップと比べたりしていました。

ですから、次のように考えてみてください。人生はコーヒーです。仕事やお金、社会的地位はコーヒーカップです。つまり、そういったものはただの受け皿で、持っているカップが、コーヒーの質を決めたり変えたりするわけではありません。

時々私たちは、コーヒーカップにばかり気を取られて、神様がせっかく与えてくださったコーヒー、つまり人生を楽しめないでいるのですよ。」

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2011年7月11日月曜日

美しいティーカップ


ある日、一組の夫婦が結婚25周年記念の買い物をしていて、美しいティーカップを発見した。夫婦は、「それを見せてもらってもいいですか?こんなにステキなティーカップは見たことがない!」と言った。店員が手渡そうとすると、ティーカップが突然しゃべりだした。

「あんたたちには分かってない!私はずっとティーカップだったわけじゃないんだ。むかしは赤い土だったこともあるんだ。師匠が私をもち帰って、何度もたたいてのばしたんだ。『もうほっといてくれ!』って叫んだのに、ただ笑って、『まだ、だめだ』と言ったんだ。」

「それから、ロクロに乗せられて、いきなり何度もぐるぐる回されたんだ。『やめろ、目がまわる!』って叫んだよ。でも師匠はただうなずいて、『まだ、だめだ』と言ったんだ。」

「それから、窯に入れられた。こんなに熱いと思ったことはなかったね!なんで私を燃やしてしまいたいのか分からなくて、扉をたたいて大声で叫んだよ。師匠がすき間からのぞくのが見えけど、首を横にふりながら、『まだ、だめだ』と口を動かしたんだ。」

やっと扉が開いて、私を棚に置いたので、ちょっと涼しくなった。『やれやれ、やっとマシになった!』と言ったのもつかの間、それからブラシをかけられ、全身に絵の具をぬられたんだ。そのにおいのひどかったこと!窒息するかと思ったよ。『やめてくれ!やめてくれ!』って叫んだよ。でも師匠は、『まだ、だめだ』と言ってうなずいただけだった。

それから、いきなり窯にもどされたんだ。これが最初の時よりひどかった。前回の2倍も熱くて、ぜったい窒息すると思ったね。やめるように頼んでみたり、悲鳴をあげてみたり、泣きついたりしてみたよ。でもうなずきながら、『まだ、だめだ』と言っているのが、すき間からみえた。

もう望みはないと分かった。絶対に耐えられない。もうあきらめようと思った。でも扉がひらいて、師匠が私を取りだして、棚においた。1時間後に、師匠は私に鏡を渡して、『見てごらん。』と言った。私は鏡を見てビックリした。『これは私じゃない!ありえない!こんなに美しいなんて。私は美しいんだ!』

それから師匠は、『君にこれから言うことを覚えておいて欲しい』と言ったんだ。

『君が、たたいてのばされて痛がっていたのは知っていたが、放っておいたら、すっかり乾いてしまっただろう。ろくろで目が回ったのも知っているが、もしやめたら、崩れてしまっただろう。窯の中が痛くて熱くて耐えられないのも分かっているが、窯に入れなければ、割れてしまっただろう。ブラシにかけて絵付けをした時の匂いもひどかったのは知っているが、そうしなければ丈夫にならなかっただろう。それに、君の人生には色がなくなってしまっただろう。そして窯にもう一度もどさなかったら、君はあまり丈夫にはならず、この先、長持ちしないだろう。でも今や君は完成品だ。君は私が最初に思っていたとおりになったよ!』」

この話の教訓
神様はどうすれば良いか分かっている。(私たち全てについて)
神様は陶芸家で、私たちは土だ。
神様は私たちを思い通りに形造る。
欠陥のない作品に仕上がるように。
神の善なる喜びに満ちた完全な意思を遂行するために。

(コリント人への手紙第1 10:13
あなた方には、人間なら誰にでも起こりえるような試練以外は起こっていない。
神様は誠実なお方だ。だからあなた方が耐えられないような試練はお与えにならない。

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うわさ話

ある女が隣人のちょっとしたうわさ話をした。数日のうちにその話は近所中に知れ渡った。うわさを立てられた隣人は深く傷ついた。しかし後に、女は、そのうわさが全くのデマだったと知った。女はひどく後悔し、賢者を訪ねて、隣人の名誉を回復するためにはどうすればよいかを尋ねた。

賢者は、「市場に行ってにわとりを買い、その場で絞めてもらうのじゃ。そして家に帰る途中、羽をむしって1枚ずつ道に落とすのじゃ」と告げた。
賢者の言葉に驚いたものの、女は言われた通りにした。

翌日賢者は、「では、昨日落とした羽を全て拾い、私の所に持って来るのじゃ。」と女に告げた。

女は昨日と同じ道をたどったが、羽はすべて風に吹き飛ばされてしまっていたので、うろたえた。何時間も探した後、ようやく3枚を手にして戻った。それを見て賢者は言った。「ほら見よ、落とすのは簡単じゃが、取り戻すのは不可能なのじゃ。うわさ話も同じじゃよ。うわさを広めるのはあっという間じゃ。でも後から何も無かったことにするなど出来っこないのじゃよ!」

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2011年6月26日日曜日

良い日 vs. 悪い日

悪い一日を過ごす方法

寝坊してパニックになる
あわてて支度をする
急いで着替える
朝食抜き
コーヒーのガブ飲み
自分と向き合わない
運動しない
一日の計画を立てない
失敗にこだわる
笑顔が無い
自分勝手でとっつきにくい
批判、非難、文句を言う
マイナス思考
指図、命令、支配する
常にガミガミ言う
失敗を見逃さない
不満を漏らす
昼食抜き
怒りの感情を抱く
常に急いでいる
意思疎通を図らない
独り占めする
明日が心配
融通がきかなく、不機嫌
よくないことを考え、満腹状態で寝る


良い一日を過ごす方法

早起きして急がない
ゆっくりと深呼吸
運動する
5分間自分と向き合う
みんなに挨拶する
笑顔を絶やさない
よく褒める
意思疎通する
自分が話すより人の話を聞く
忠告は気をつけて行う
自分の仕事が光栄だと思う
感謝を表現する
最善を尽くす
変化を歓迎する
首の筋肉をほぐす
息抜きの時間をとる
負の感情は捨て去る
怒りや罪の意識を手放す
仕事は持ち帰らない
成果を振り返る
楽しい計画を立てる
夕食をちゃんと摂る
自分が恵まれていることに気付く
たっぷりの愛情

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「可能」になりたい


先生がクラスの生徒たちに、大きくなったら何になりたいか尋ねた。
教室のあちこちから一斉に答えが返ってきた。

「フットボール選手」「お医者さん」「宇宙飛行士」「大統領」「消防士」「先生」
「カーレーサー」
トミー以外の全員が答えた。

先生はトミーが黙って座っているのに気付いて尋ねた。
「トミー、あなたは大きくなったら何になりたいの?」
「『可能』になりたい」
「『可能』になりたいって?」
「うん、ママがいつも『お前はどうしようもないimpossible)』って言うんだ。
だから大きくなったら、『可能』(possible) になりたいんだ

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言う前に考えよう

今日、思いやりのない一言を言おうとする前に
話すことができない人のことを考えよう

食べ物の味について文句を言う前に
食べ物がない人のことを考えよう

夫や妻について文句を言う前に
切実に伴侶を求めている人のことを考えよう

今日、人生について文句を言う前に
あまりにも早く天国に召されてしまった人のことを考えよう

こどもについて文句を言う前に
こどもが欲しくてもできない人たちのことを考えよう

家の中が汚くて掃除していないと喧嘩をする前に
路上生活を送っている人たちのことを考えよう

長距離運転について愚痴をこぼす前に
同じ距離を歩く人のことを考えよう

疲れて仕事について文句を言う時は
失業中の人や、働けない人、その仕事が欲しいと思っている人たちのことを考えよう

他人を名指しで非難しようとする前に
罪のない人間などおらず、みな神の采配を受けるのだということを思い出そう

気が滅入って落ち込むような時は
笑顔を作って、まだ生きていることに感謝しよう

人生は天からの授かり物
享受し、謳歌し、称賛し
充実させよう

そしてそうしているうちに、今日からでも思いやりを伝えよう
行動や言葉で示そう
思いやりは心の中に閉じ込め、隠しておくものではない
だから、今日から思いやりを伝えよう!

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http://peacefrompieces.blogspot.com/2010/11/think-before-you-speak.html

2011年6月19日日曜日

「友達」それとも単なる「知り合い」?

単なる「知り合い」と「友達」は異なる。「知り合い」とは、名前を知っていて、ときどき顔を合わせることがあって、多分何か共通するものがあり、一緒にいて居心地が良いと感じる人だ。

「知り合い」は家に招いたり、一緒に何かすることは出来るが、人生を分かち合うことはない。そこまでよく知らないので、時にはその行動が理解できない。

一方で、「友達」というのは、愛情を感じる人のことだ。もちろん恋しているわけではないが、いつも気に掛け、そばにいなくても、その人について考えたりする。良く知っているので、好きそうなものが分かり、そういった物を見かけると、その人のことを思い出す。「友達」というのは、写真を持っているような人で、しかしそれとは関係なくその顔が思い浮かぶような人だ。

「友達」は一緒にいて安心できる人だ。気に掛けてくれていると分かっているからだ。電話するのに特別な用事は必要ない。ただ「どうしてる?」と言って電話を掛けてくる。そして初めからお互いに本当のことを話す。また、もし問題があれば、いつでも話を聞いてくれる。

「友達」は、馬鹿にしたり、傷つけたりするようなことはしない。もし傷つけてしまった場合には、一生懸命その埋め合わせをしようとする。「友達」には、例えそうと気付いていなくても、愛情を感じている。

「友達」は、大学に落ちたり、プロムのラストダンスで断られたり、卒業式の際に一緒に泣いてくれた人だ。ハグする時にどれくらいの間とか、どちらが先に離せば良いかなどと考える必要のない人たちだ。

「友達」は、結婚式では、指輪を持っていてくれるかもしれないし、新郎へ引き渡してくれるかもしれない。もしかすると結婚する人かもしれない。それとも、幸せのあまり、または感激のあまり、泣いてくれているかもしれない。

「友達」は、間違いを犯すのを止めてくれ、もし間違ってしまった場合には手助けしてくれる。ぎこちなくならずに、手を握ったり、ハグしたり、キスしたりすることができる。「友達」はそんなあなたが好きで、それを理解してくれる。

「友達」はずっとそばにいて、手を離さない。お互いの人生を見守り、お互いにそこから学ぶ。そんな「友達」無くしては、人生は同じではない。

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優先事項

哲学の教授が、教壇の上にいくつか物を並べ、クラスの前に立っていた。授業が始まると、教授は無言で大きな空っぽのマヨネーズの瓶を取り上げ、それを直径5センチくらいの大きさの石で一杯にした。

それから生徒に、「瓶はいっぱいになりましたか?」と尋ねた。
生徒は「いっぱいです」と答えた。

次に教授は小石を取り上げ、瓶に注ぎ込んで軽く振った。小石はもちろん石と石の間のスペースに転がり落ちていった。

それから生徒に再び、「瓶はいっぱいになりましたか?」と再び尋ねた。
生徒は「いっぱいです」と答えた。

次に教授は砂の入った箱を取り上げ、瓶に流しこんだ。もちろん、砂はまだ埋まっていなかったスペースをすべて埋めつくした。
それから生徒にもう一度、「瓶はいっぱいになりましたか?」と尋ねた。
生徒は口を揃えて「いっぱいです」と答えた。

「では、この瓶が、皆さんの人生を表していると考えてみてください。石は大切なものを表しています。例えば家族やパートナー、こども、健康、といったものです。つまり、他のものを全て失ったとても、これさえ残っていれば人生がまだまだ満たされているようなものです」教授は言った。

「小石はその次に大切なものです。例えば仕事や家、車などです。そして、砂はその他もろもろです。つまり、些細なことです。」教授は続けた。

「もし皆さんが、砂を先に詰めてしまうと、小石や石の入る隙間が無くなってしまいます。皆さんの人生も同じことです。もしすべての時間とエネルギーを些細なことに使ってしまえば、自分にとって大切なことをする余裕は全くなくなってしまうでしょう。自分の幸せにとって、本当に大切なことに集中しましょう。こどもたちと遊んで、パートナーとの時間を作りましょう。仕事に行く時間や、掃除の時間、ディナーパーティや、台所のシンクを修理する時間はいくらでもありますよ。まず石に心を配りましょう。つまり、本当に大切なことにです。優先事項を決めましょう。残りはただの砂ですから。」

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愛してる


夫婦は結婚して長い年月が経っていた。世の常のごとく、それなりに山あり谷ありの夫婦だった。ある日、夫が仕事ばかりしているので大喧嘩になり、物事がうまくゆかなくなった。夫は落胆し、妻は憤慨していた。

一週間妻に口をきいてもらえなかったので、夫は紙と鉛筆を持って妻に近寄り、「二人ともダイニングテーブルに着いて、お互い気に入らないところを書き出そう。書き終わったら交換して、それについて話し合おう」と提案した。

山ほど不満があったので、さっそく妻は、夫を見あげる間もなく書き始めた。
夫はそんな妻をじっと見つめてから書き始めた。
15分後、二人はお互いに顔を見合わせ、紙を交換した。

夫は不満でびっしりの紙を見つめた。妻は憤慨していた。しかし妻は夫の紙を見たとたん、ハッとして自分の書いた紙をすばやく破り捨てた。夫の紙には、2ページに渡りぎっしりと次のように書かれていた。

「愛してる」



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2011年6月1日水曜日

中華料理店の女主人

私の留学していたアメリカの小さな町に1件の中華料理屋があった。
学校からわりと近い上に、ここのワンタン入り中国風ラーメンは3ドル95セントと財布にやさしい値段だったので、ラーメンが食べたくなると良く行っていた。

しかし、この店の中国人の女主人は結構怖かった。いつも忙しそうで、ぶっきらぼうな物言いで、私が店に入ると、必ず座る席を指定する。他の席に座ってみても「こっちの方がいい。」と強引に移動させられる。それは窓際の席だったので、私はきっと、店にお客がいるのを通りがかりの人に見せたいのだな、と思っていた。この女主人さえ気にしなければラーメンはおいしいので、私はめげずに食べに行き、いつも窓際の席に座らされていた。

そんなある冬、この町が10数年ぶりの大雪に見舞われた。学校が1週間休校になり、私は雪かきに明け暮れた。私は雪国の出身で、こどもの頃にイヤというほど雪かきを手伝わされたのに、温暖なこの町に来てまで雪かきをする羽目になるとは、何とも納得がいかなかった。ようやく雪が止んだ2日目、3時間ほど雪かきをすると、またあのワンタン入りラーメンが食べたくなった。

こんな日に営業しているだろうか?と思いつつ、とりあえずは行ってみることにした。
店に着くと、従業員らしい人が店の前で雪かきをしていた。店は開いていたので覗いてみると、さすがに店にお客はいなく、例の女主人が珍しく暇そうに、私の指定席である窓際の席にぼんやりと座っていた。今日は営業していますか、と尋ねると、自分たちは近くに住んでいるので毎日雪かきに来て店を開けている、と言った。そして、その席から立ち上がり、私に座るように勧めた。私はすこし遠慮して、でもあなたがそこに座っているのなら…、と言うと、いいや、私はただ少しばかり手の空いた時に、この席に座って、外の景色や行き交う人々をぼんやりと眺めるのが好きなのさ、と言った。

その瞬間、私はそうか、そういうことだったんだ、とようやく気がついた。この人の物言いや振る舞いがあまりにそっけなくて分からなかったけれど、この人は、これまでずっと、自分の一番お気に入りの席を勧めてくれていたんだ

そこに座って眺めると、雪化粧のせいもあって、外がいつもより数段まぶしく感じられた。

2011年5月7日土曜日

おいしいケーキはいかが?




よく私たちは、「何も悪いことをしていないのに、こんな目に遭うなんて!」とか
「神様はなんで私をこんな目に遭わせるのだろう。」と思うことがある。
ここにその素晴らしい説明がある!

ある若い娘が母親に、
「代数は単位を落としそうだし、ボーイフレンドには振られるし、親友は引っ越しちゃうし、もう散々よ!」と言った。

その時、母親はちょうどケーキを焼いていたので、娘に、「何か食べる?」とたずねた。
娘は、「もちろん!ママのケーキ大好きよ。」と答えた。

「じゃあクッキングオイルをどうぞ。」母親がすすめた。
「何言ってんの?」娘が言う。

「じゃあ生卵なんかはどう?」
「気持ち悪い!」

「それなら、小麦粉はどうかしら?それともベーキングソーダ?」
「ママ、全部食べられないって!」

それに対し母親は答えた。
「そうね、どれもみんなそのままじゃおいしくないわね。
でもちゃんと混ぜれば、素晴らしくおいしいケーキになるでしょう!
神様のなさることも同じなのよ。
よく人間は、『神様はどうして私たちをこんなにひどく苦しい目に遭わせるのだろう』
って思うでしょ。
でも神様のレシピに従えば、ちゃんとうまくいくって分かっていらっしゃるのよ。
私たちはただ神様を信じなくちゃ。そうしたら、そのうち何かステキなものになるのよ!」

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http://peacefrompieces.blogspot.com/2011/03/have-piece-of-cake.html