2011年8月14日日曜日

人生はコーヒー


卒業生たちが昔の大学の教授を訪問するために集まった。彼らはみな仕事でかなりの地位を築いていたが、話はすぐに仕事や生活のストレスへの愚痴になった。

教授は、卒業生にコーヒーを出すため、キッチンに行ってコーヒーの入った大きなポットとカップを持ってきた。コーヒーカップは、陶器、プラスチック、ガラス、クリスタル、シンプルなもの、高価なもの、上品なものなどいろいろあった。教授は卒業生に自由にコーヒーを飲むようすすめた。

全員がコーヒーカップを手にしたとき、教授は次のように言った。

「皆さんお気づきでしょうか。見栄えのする高価なカップはすべて無くなっていて、何の変哲もない安いカップだけが残っています。もちろん、最高のものを望むのはごく自然なことですが、それがいろいろな問題やストレスの原因にもなっています。

どうか、カップそのものはコーヒーの質に何の影響も与えないということを思い出してください。大抵の場合、ただ値段が高いというだけですし、時には何を飲んでいるのか分からなくしてしまいます。
飲み物がすっかりそっちのけになってしまいます。

皆さんが本当に欲しかったのは、カップではなくコーヒーだったはずなのに、良いカップに飛びついて、他の人のカップと比べたりしていました。

ですから、次のように考えてみてください。人生はコーヒーです。仕事やお金、社会的地位はコーヒーカップです。つまり、そういったものはただの受け皿で、持っているカップが、コーヒーの質を決めたり変えたりするわけではありません。

時々私たちは、コーヒーカップにばかり気を取られて、神様がせっかく与えてくださったコーヒー、つまり人生を楽しめないでいるのですよ。」

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