2013年10月21日月曜日

楽観主義者と悲観主義者


これは、ある一卵性双生児の物語。
 
一人は希望に満ちた楽観主義者で、「何だってうまくいくさ!」が口グゼ。もう一人は
惨めで絶望的な悲観主義者で、『マーフィーの法則』のマーフィですら楽観主義者だと思っている。
 
息子たちのことが心配な両親は、二人を地元の心理学者の所へ連れて行った。
心理学者は、二人の人格のバランスを整える計画を提案した。
 
「次の誕生日には、二人を別々の部屋に入れてプレゼントを開けさせなさい。
悲観主義の子には、できるだけ最高のおもちゃを与え、楽観主義の子には、箱いっぱいの肥やしを与えなさい。」
 
両親はこの指示に従い、結果を注意深く観察した。
 
悲観主義の息子の部屋を覗くと、ブツブツと文句を言っているのが聞こえた。
「このパソコンの色が気に入らないな…この計算機は絶対壊れるよ…ゲームは好きじゃないし…これより大きなおもちゃの車をもらった子、知ってる…」
 
忍び足で廊下を渡り、楽観主義の息子の部屋を覗くと、幼い息子は楽しそうに
肥やしを宙に放り投げながら、クスクス笑っていた。
「だまされないよ。こんなに肥やしがあるんだから、仔馬がいるに違いない!」
 
 
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2013年10月13日日曜日

失敗にどう反応するか?


ここに、とても重要な医学的解明を成し遂げた、著名な科学研究員にまつわる話がある。彼は新聞記者のインタビューを受け、「あなたはなぜ平均的な人間よりもずっと創造的でいられるのだと思いますか?何が他の人との大きな差を生み出したのですか?」と尋ねられた。

この質問に対し科学研究員は、「すべては2歳頃の母親とのある経験から始まったと思います」と答えた。

2歳の彼は、冷蔵庫から牛乳ビンを取り出そうとしていたが、つるりと手から滑り落ちてしまった。台所の床一面に牛乳をこぼし、まさに辺りは牛乳の海と化してしまった。

台所に入ってきた母親は、叱ったり、お説教をしたり、おしおきをしたりする代わりに、次のように言った。

「ロバート、全く見事な散らかしようね!こんなに大きな牛乳の水たまりなんて、滅多に見られるものじゃないわ。まあ、もうこぼしてしまったのだから、片付ける前に少しこの水たまりで遊ぶ?」

彼は、実際にそうした。しばらくしてから、母親は言った。

「ねえロバート、こんな風に散らかしてしまったら、そのうちきちんと片づけて、元の状態に戻さなければならないのよ。あなたはどうやって片づけたい?スポンジを使ってもいいし、タオルでもモップでもいいわよ。どれがいいかしら?」

彼はスポンジを選び、母親と二人でこぼした牛乳をきれいにした。

それから母親は言った。
「ねえ、今回は、大きな牛乳ビンを小さな手で上手に運ぶという実験には失敗したわね。あなたが、こぼさないで運ぶ方法を見つけられるか、一緒にお庭に出て、瓶に水を入れて試してみましょう」

小さな男の子は、ビンの上の注ぎ口付近を両手で持てば、落とさずに運べることを学んだ。

この高名な科学者はさらに感想を述べた。
「この瞬間、間違いを恐れる必要はないと気付いたのです。間違いは何か新しいことを学ぶ機会でしかなく、科学的な実験とはつまりはそういうものです。たとえ実験が『うまくいかない』場合でも、大抵はそこから何か貴重なことが学べるのです」

もしすべての両親が、ロバートの母親のように反応したら、素晴らしくはないだろうか。

もし私たちみんなが、部下や後輩にこんな風に反応出来たら素晴らしくはないだろうか。誰かが、自分の失敗から学べるように手助けできるとすれば。
 

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2013年10月6日日曜日

友達だよね?


「だって私たち、友達でしょう?」

よく一方が、もう一方から信頼や利益を得たい時に、友情や関係を繰り返し主張するために使われる言葉。

実際の意味は、「本当はあなたの友達でもなんでもないから、いちいち言わなきゃならないの。必要とあらば、事あるごとにあなたに近づいて裏切るしね」

それ故、私たちがいつも聞くのは、「(その女優の)親しい友人によれば…」

正直なところ、本当の友達なら友情を繰り返し確認する必要はないし、なにか聞かれても「知りません」と答えてくれるだろう。


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http://peacefrompieces.blogspot.com/2006/09/19-september-2006-you-know-were-friends.html