2011年5月7日土曜日

見逃しているものは?

場面

1月のある寒い朝、ワシントンDCのメトロ(地下鉄)駅。彼はバッハの作品6曲を1時間ほどかけて演奏した。

その間、およそ2,000人が駅を通り過ぎた。ほとんどの人は仕事に向かう途中だった。

3分後中年の男性が音楽家の演奏に目をとめた。彼は歩くペースを落とし、ほんの数秒間立ち止まったが、予定に遅れないよう先を急いだ。

4分後:このバイオリン奏者は最初の1ドルを受け取った。女性がお金を投げ入れたのだが、立ち止まることなくそのまま行ってしまった。

6分後:若い男性が演奏を聞こうと壁に寄りかかっていたが、時計を見てまた歩き出した。

10分後:3歳くらいの男の子が立ち止まった。母親は急いでその子を引っ張ったが、子どもはバイオリン奏者に見とれていた。とうとう母親がその子を強く引っ張ったので、子どもはずっと振り返りながら歩いて行った。
他にも似たようなことをした子どもが何人かいたが、親はみな例外なく子どもを先に急がせた。

45分後:音楽家は演奏し続ける。だがしばらく立ち止まって聞いていったのは、たったの6人だった。
およそ20人がお金を入れたが、ペースを崩さずそのまま歩き続けた。
音楽家は32ドルを集めた。

1時間後:音楽家が演奏を終え、辺りは静まりかえった。しかし誰も気にとめず、拍手する人もおらず、そのすばらしさに気づく人もいなかった。

誰にも知らされていなかったが、このバイオリン奏者はジョシュア・ベルという世界有数の音楽家だった。
彼は複雑な音楽作品を、350万ドル相当(約2億7千万円)のバイオリンで演奏していた。
ちなみにこの2日前、平均100ドルほどするジョシュア・ベルのボストン公演チケットが完売していた。

これは本当にあった話だ。ジョシュア・ベルのお忍び演奏は、ワシントンポストが、ものの感じ方や好み、優先事項などに関する社会的実験の一部として行ったものだった。

問い

ありきたりな環境で、不適切な時間に、私たちは美を認識するものなのだろうか。立ち止まってその素晴らしさを感じられるのだろうか。予期しない状況で才能を認められるものなのだろうか。


実験から考えられる結論:
すぐれた音楽作品を美しい名器で奏でる世界有数の音楽家にさえ、立ち止まって耳を傾けようとしないのであれば、私たちは他に一体どれだけ多くのことを見逃しているのだろう?

オリジナルへのリンク

0 件のコメント:

コメントを投稿