2013年1月21日月曜日

自分の好きなことを見つけなくちゃ!


これは2005612日、アップル・コンピューターおよびピクサー・アニメーションスタジオの
スティーブ・ジョブスが、スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチである。
~~
本日は、世界でもトップクラスの大学の卒業式に参列できて光栄です。
僕は大学は卒業しませんでした。だから正直なところ、今日が大学の卒業式に最も近づいた日と言えるでしょう。


今日は、皆さんに僕の経験から、三つの話をしようと思います。それだけです。
大したことはありません。たった三つです。
 

一つ目の話は、点と点が線で結ばれる話です。
 

僕は、最初の半年でリード大学の正規のコースからは脱落しました。でも実際に退学するまでさらに1年半ほど聴講していました。では僕はなぜ辞めたのか?

事の始まりは、僕が生まれる前からです。
それは、僕が生まれる前から始まっていたのです。

僕の生みの母親は、若い未婚の大学院生でした。それで僕を養子に出すことにしたのです。

母は、絶対に大卒の人の所に養子にやるつもりだったので、僕が生まれたら弁護士のところに養子に行くよう全ての手筈が整っていました。

でも、僕が生まれて、最後の最後になって、この夫婦は実は女の子が欲しかったと気づいたのです。
 

それで順番待ちのリストに載っていた僕の両親は、真夜中に「ちょっと予定が狂った男の赤ちゃんがいるんですが、養子に欲しいですか?」という電話を受けたのです。

僕の両親は「もちろんです!」と答えました。


生みの母は、後に、養母が大学を卒業しておらず、養父は高校も卒業していないことを知りました。母は、養子の最終承諾書類にサインすることを拒みました。数ヵ月後、僕の里親が、僕を必ず大学にやると約束してようやく折れたのです。

 そして17年後、僕は確かに大学に進学しました。でも僕は世間知らずで、このスタンフォード大学と同じくらい授業料の高い大学を選んだのです。


賃金労働者だった僕の両親の貯金はすべて大学の授業料につぎ込まれました。

しかし6ヶ月経っても僕は大学の価値が分かりませんでした。自分の人生で何をやりたいのかも分からなかったし、大学がそれをみつけるのに、どう役立つのかも分かりませんでした。それなのに、両親がそれまでに貯めたお金を全部使っていたのです。

だから、大学の正規コースは辞めて、それでも全てはうまく行くと信じることにしました。当時はけっこうヒヤヒヤしましたが、振り返ってみれば、最高の決断の一つでした。すごくいい決断でした。
 

正規コースは辞めると決めたとたん、面白くない必修科目を取る必要がなくなりました。そして、面白そうなクラスを聴講し始めたのです。

でもそんなにすばらしい生活とはいえませんでした。大学の寮に入っていなかったので、友達の部屋の床で寝て、1つ5セントのコカコーラのボトルを集めて食費にあてていました。

そして、日曜の夜には、ハーレ・クリシュナ寺院での週に1度のおいしい食事にありつくために、街の反対側まで7マイル(約11.3キロ)の距離を歩きました。とってもおいしかったですよ。

そしてこの時、好奇心と直感にしたがってばったり出くわしたものが、あとから非常に価値のあるものになりました。

一つ例を挙げましょう。

 当時リード大学は、多分国内でも最もすばらしいカリグラフィー(文字を美しく見せるための手法)の指導を行っていました。
キャンパス内のポスターや引き出しのラベルはどれも美しい手書きのカリグラフィーを用いていました。

正規コースから外れ、普通科目を取らなくても良かったので、僕はカリグラフィーのクラスを取って、どのようにするのか学ぶことにしました。

僕はセリフ書体やサンセリフ書体について学びました。また、文字の組み合わせによってスペースを変えることも学びました。また何がタイポグラフィー(印刷術における文字の体裁を整える技芸)を素晴らしくするのかも学びました。

カリグラフィーは美しく、歴史があり、化学では捉えられないような、微妙な芸術的なニュアンスがあり、僕はとてもすばらしいと感じたのです。

 しかしこういったことが、僕の人生で実際に役に立つとは、ほんのかけらほども思っていませんでした。


ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計している時、こういったことが全て甦ってきたのです。そしてすべてをマックの設計に含めたのです。

マックは文字が美しく印刷される最初のコンピュータでした。

もし私が大学で、あのたった一つのコースを聴講しなければ、マックはいくつもの書体やスペースが計算されたフォントを持つことはなかったでしょう。

そして、ウィンドウズはただマックの真似をしただけですから、そういった機能を持つパソコンはこの世に生まれなかったでしょう。

もし私が正規コースを脱落しなければ、カリグラフィーのクラスの聴講はしなかったでしょうし、パソコンは今のように美しく文字を印刷しなかったかもしれない、ということです。

もちろん、大学にいた頃は、先を見越して点と点を結ぶなどということは不可能でした。ですが、10年後に振り返ってみると、その点と点のつながりがはっきりと見えたのです。

繰り返しになりますが、先を見越して点と点を結ぶことは出来ません。あとから振り返ってみてようやくつなぐことが出来るのです。

ですから、点と点というのは、将来何らかの形でつながるのだと信じてください。

皆さんは、何かを信じなければなりません。直感、運命、生き方、カルマ、など何でもいいのです。

私は、今まで信じて、期待はずれの結果に終わったことはありませんよ。信じることは、私の人生に大きな違いをもたらしてくれました。
 

二つ目の話は、愛と損失についてです。
 

私はラッキーでした。人生の早い時期に好きなことを見つけました。Wozと私は、私が20歳のときに、両親のガレージでアップルを始めました。

懸命に働いて、10年後にはガレージに私たちたった二人だったのが、4,000人の従業員を持つ20億ドルの会社に成長したのです。

その1年前に、最高の作品であるマッキントッシュを発表していて、私は30歳になったばかりでした。そうしたら解雇されました。

自分が始めた会社からどうやって解雇されるかって?

それはですね、アップルが成長してきた際、一緒に会社を経営するにふさわしいと思えた人を雇ったわけです。

最初の1年くらいはうまくいきました。でも私たちの将来像が分かれてきて、結局仲たがいをしました。

そうなった時、会社の取締役会は彼の側に付いたのです。それで30歳にして職を失いました。それもとても公然と失いました。自分が大人になってからの人生の焦点だったものを失い、打ちのめされました。

数ヶ月間は、どうしたらよいのか本当に分かりませんでした。

前の世代の企業家を失望させた、バトンを渡された際に落としてしまったと思いました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、ひどくめちゃくちゃにしたことを謝ろうとしました。

私は世間に知れた敗北者で、シリコンバレーから逃げだそうかとさえ思いました。

でもゆっくりと分かり始めました。私はそれでも自分のしていたことが大好きだったんです。

アップルでの情勢の変化もそれを少しも変えはしませんでした。だから、もう一度やり直すことにしたんです。
 

その時は分かりませんでしたが、アップルから解雇されたのは、私にとって最高の出来事だったと分かりました。

成功していなければならないという重荷は、初心者に戻った気軽さに変わり、すべてはあまり確かでなくなりました。

そんな状況は、私の人生で最もクリエイティブな時期へと自分を解放させました。
 その後の5年間、私はNeXTPixarという二つの会社を設立し、後に私の妻となる素晴らしい女性に恋をしました。


ピクサーはトイストーリーという世界初のCGアニメーション映画を手がけることになり、今や世界でも最も成功しているアニメスタジオになっています。

そして、驚くべき情勢の変化で、アップルはNeXTを買収し、私はアップルに返り咲きました。NeXTで開発した技術は、アップルでの現在のルネッサンスの核心となっています。

そして、ローリーンと私はすばらしい家族を作りました。
 

もしアップルから解雇されなければ、こんなことは何一つ起こらなかったでしょう。

ひどく苦い薬でしたが、患者にはそれが必要だったのだと思います。時に人生は、頭をレンガで直撃してきます。

でも信念を失わないでください。私がやってこられたのは、自分がやっていることが本当に好きだったというただそれだけのことだと確信しています。

だから、あなたたちも自分が本当に好きなことを探すべきです。これは、仕事に関しても恋愛に関しても同じです。

仕事は人生の大きな部分を占めることになるので、心底満足したければ、すばらしいと思う仕事をすることです。

もしまだ見つかっていなければ、探し続けてください。止めてはいけません。すべての物事がそうであるように、見つけた時にそれだと分かります。

そして、すばらしいお付き合いというのはみなそうですが、年月が経つに連れてどんどん良くなっていきます。

ですから、見つかるまで探し続けてください。探すのを止めてはいけません。

 三つ目の話は、死についてです。
 

私は17歳のときに、「もし毎日をこれは人生で最後の日だと思って暮らせば、
いつか必ずそれが正しくなる」というような引用文を読みました。

その言葉は心に焼き付いて、それ以来33年間、毎朝鏡を見て、自分に問いかけてきました。「もし今日が人生で最後の日なら、今日これからしようとすることがしたいだろうか?」

そしてもしその答えが「ノー」である日が続けば、何かを変えなければならないと自覚しました。
 

自分はまもなく死ぬんだと意識することが、人生で大きな選択をする際に、これまでで一番役に立ちました。

なぜなら、ほとんどすべて、外部からの期待だとか、プライドだとか、失敗や恥をかくことへの恐怖だとか、そういったものは死を目の当たりにすると剥がれ落ち、本当に大切なものだけが残るからです。

私にとって、自分はまもなく死ぬんだと意識することは、自分は失うものがあると思ってしまう罠に引っかからないための最善の方法です。あなたはもう裸なのです。ですから、自分の心に従わない理由はありません。

1年前、私はガンだと診断されました。

朝の7時半にスキャンをとったのですが、そこにはすい臓の腫瘍がはっきりと写っていました。

実は私はすい臓というのが何なのかも知りませんでした。

医者は、これはほぼ間違いなく治療不可能な種類のガンで、余命は3~6ヶ月だと言いました。医者は私に、家に帰って身の回りの整理をするよう言いました。医者がこう言うのは、死を迎える準備をしろということです。

それは、子どもたちに教えるのにあと10年あると思っていたことを全て、わずか数ヶ月で教えようとすることを意味します。また
、家族ができるだけ大変な思いをしないように、すべてをきちんと整えるということです。

それは、さようならを告げることです。
 

私はこの診断と1日付き合いました。その日の夕方おそく、私は生体検査を受けました。私の喉から内視鏡を入れ、胃と腸を通ってすい臓に針を刺し、腫瘍のサンプルを取りました。

私は落ち着いていましたが、その場にいた妻が言うには、顕微鏡でサンプルを観察した医者たちは、手術で治療が可能な珍しい種類のすい臓がんであると分かって、ホッとして泣きだしたそうです。

これが私が今までで最も死に近づいた経験です。できればあと数十年は、これが最も近い経験であることを祈っています。

この経験を通して、死というものが、有益な単なる知的概念だった時より、今はもう少し確信を持って次のことが言えます。

誰も死にたくない。天国に行きたい人でもそのために死ぬのはイヤです。それでも死というのは我々みなが共有する到達点です。逃れられた人は1人もいません。

そしてそれがあるべき姿です。なぜなら死というのは、たぶん生の唯一の、そして最も素晴らしい発明品だからです。

死は生の変化をもたらします。新しいものに道を譲るため古いものを一掃します。

今新しいのはあなたたちです。しかし、今からそう遠くないいつの日か、あなたがたはだんだん古くなり一掃されるのです。大げさかもしれませんが、かなり当たっています。

あなた方の時間は限られています。だから他人の人生を生きて無駄にしないでください。他人の思考の結果に基づく定説に捕われないでください。他人の意見という騒音に、あなたの心の叫びが飲み込まれないようにしてください。

そして最も大切なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。心と直感はなぜだか、あなたがどうしたいのかすでに知っています。他の事はすべてあまり重要ではありません。
 

私が若いとき、「全地球カタログ」というすばらしい出版物がありました。これは、私の世代のバイブルの一つでした。

スチュワート・ブランドという人物によって、このメンロ・パークからそんなに遠くない場所で、彼の詩的なニュアンスが加わって息を吹いたのです。 

1960年代の終わりでしたから、パソコンやデスクトップ出版が出まわる前で、全てがタイプライターやハサミやポラロイドカメラで出来上がっていました。

それは例えればグーグルの書籍版のような感じでした。グーグルが現れる35年前のね。理想主義的で、かっこいいツールやすごいコンセプトに溢れていました。
 

スチュワートと彼のチームは「全地球カタログ」を数冊出し、一通りのことをやって、最終号を出版しました。1970年代の中ごろで、わたしはあなたたちの年頃でした。

最終号の裏表紙は、早朝の田舎道の写真で、冒険心が強い人ならそこでヒッチハイクしているような道でした。

その下には次の言葉がありました。「貪欲であれ。愚かであれ。」これが彼らの最後のメッセージでした。貪欲であれ。愚かであれ。

私はいつも自分がそうであるように祈っていました。そして今、卒業し新たな道を歩み出すあなたたちにもそれを祈っています。
 

貪欲であれ。愚かであれ。


オリジナルへのリンク↓
http://peacefrompieces.blogspot.com/2006/07/youve-got-to-find-what-you-love.html

0 件のコメント:

コメントを投稿