2013年9月8日日曜日

素敵な1日を過ごすためのルール


今日一日、反撃しない
もし、失礼な人がいても、イライラしている人がいても、不親切な人がいても、同じ態度で反撃しない。
 
今日一日、「敵」を祝福する
もし、誰かに手厳しく扱われても、不公平に扱われても、静かにその人を祝福する。「敵」というのは、家族かもしれないし、ご近所かもしれないし、同僚かもしれないし、
赤の他人かもしれない。

今日一日、口に出す言葉に気を付ける
注意深く言葉を選び、自分の言っていることを監視し、噂話を広めない。
 
今日一日、もう一頑張りする
他の誰かの苦労を一緒に背負う方法を探す。

今日一日、許す
傷つくことやダメージを受けることがあっても、許す。

今日一日、誰かに良いことをする。ただし気付かれないように
自分とは分からないように手を差し伸べ、他の誰かの人生を祝福する。

今日一日、自分がそうして欲しいように人に接する
黄金律である「自分がそうして欲しいように人に接する」を会う人すべてに実践する。

今日一日、応援していなかった人の応援をする
笑顔、言葉がけ、サポートの意思表示は、人生に奮闘している人に効果がある。

今日一日、自分の体を大切にする
食事は控えめに、健康に良いものだけを食べる。自分の体に感謝する。

今日一日、心豊かに成長する
今日は、少しだけ長くお祈りする。今日から、心が豊かになり、感動させられる文章を
読む。静かな場所を見つけてお告げに耳を傾ける。
 

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2013年8月25日日曜日

電話番号案内

 
僕がまだ小さかった頃、父は近所で一番最初くらいに電話を付けた。
 
壁に備え付けられた、ピカピカの古い電話をよく覚えている。その横には、光沢のある
受話器が掛かっていた。僕はまだ小さくて電話には届かなかったが、母親がそれで話をする時には、いつも興味津々で聞き入っていた。

まもなく僕は、この素晴らしい装置の中にものすごい人が住んでいることを発見した。
彼女の名は「電話番号案内」と言い、知らないことは何一つなかった。
電話番号案内は、誰の電話番号でも知っていて、いつも正しい時刻を教えてくれた。

僕とこのアラジンの魔法のランプのような電話番号案内の、最初の個人的な関わりは、ある日、母親が近所に出かけている時に起こった。
 
地下室の作業台で遊んでいるうちに、過ってハンマーで指を叩いてしまったのだ。痛みがひどかったものの、同情してくれる人もいないので、泣いたところで仕方がなかった。

ズキズキする指をくわえて歩き回り、階段にたどり着いた。電話だ!
 
僕は居間にある足載せ台(座っている時に足を乗せる台)を急いで引っ張ってきて、踏み台にした。そこによじ登り、受話器を外して耳に当て、「電話番号案内お願いします」と頭の上の送話口に向かって言った。

「電話番号案内です」カチッという音がしてから、小さなハッキリした声が耳に届いた。

「指に怪我しちゃった。痛いよぅ」
僕は電話口に泣き声で訴えた。聞いてくれる人がいると思うと、涙がどっと溢れてきた。

「お母さんは家にいないの?」その声が質問した。
「僕しかいない」僕は泣きじゃくりながら答えた。

「血は出てる?」
「出てない。ハンマーで指を叩いちゃったからズキズキする」

「冷凍庫を開けることはできる?」
「うん、できる」
「それなら、小さい氷を、指にあてるといいわ」

それからというもの、僕は電話番号案内に何でも聞くようになった。地理の宿題についても質問し、フィラデルフィアがどこにあるか教えてもらった。算数も教えてもらった。公園で捕まえたシマリスが果物と木の実を食べることも教えてもらった。

また、こんなこともあった。我が家のペット、カナリアのピティが死んでしまった。僕は電話番号案内に電話し、その悲しい知らせを告げた。彼女は耳を傾け、大人が普通に子供を慰めるようなセリフを言った。
 
でも僕は慰められなかった。

「鳥はきれいな声で歌って、みんなを喜ばせるのに、なんで最後は羽のかたまりになって、鳥かごの底でひっくり返って死んじゃうの?」

彼女は僕の深い悲しみを感じたに違いない。
「ポール、きっと別の世界で歌っているのよ」と静かに言った。僕の気分はいくらか落ち着いた。

また別の日に、電話口で「電話番号案内お願いします」と告げた。今ではすっかりお馴染みになった声が「電話番号案内です」と答えたので、僕は「『修理』ってどう書くの?」と聞いた。

これは太平洋側にある、ある小さな北西の町で起こった出来事だ。

でも僕が9歳の時、僕達は遠くボストンまで引っ越してしまった。僕は友達を失ってしまいとても悲しかった。
 
電話番号案内は、昔の家にあったあの古い木製の電話ボックスと一体で、なぜか、新しい家の廊下のテーブルにある、背の高いピカピカの新しい電話を試してみようとは全く思わなかった。

10代になっても、子供のころの、あの会話を忘れてしまうことはなかった。困った時や迷った時には、あの時感じた静かな安心感を思い出した。
 
今では、小さな男の子を相手に、彼女はどんなに辛抱強く、思いやりがあって、親切だったのだろうと感謝している。

数年後、西側の大学に行く途中で、飛行機がシアトルに着陸した。次の乗り換えまで30分ほど時間があり、今ではそこに住んでいる姉と15分ほど電話で話をした。
 
それから何をしているかよく考えもせず、生まれ故郷のオペレータの番号をダイヤルし、「電話番号案内お願いします」と告げた。

「電話番号案内です」
奇跡的に、あのよく知っている、小さなハッキリした声を聞いた。
 
「『修理』ってどう書くの?」
別にそうしようと思っていたわけではなかったが、思わず口走っていた。

しばしの沈黙があった。それからやさしい声が、「あなたの指はもう治ったみたいね」と答えた。

「本当にまだあなたがやっているんですね」僕は笑った。「あの頃、僕にとってあなたがどれ位ありがたかったか、ご想像もつかないでしょう」

「あなたの方こそ、あの電話が私にとってどれ位ありがたかったか想像もつかないでしょう。私は子供に恵まれなかったので、いつも楽しみにしていたのよ」

僕は彼女に、ここ何年も彼女のことをよく思い出していたと告げ、姉を訪ねてくる時には、また電話してよいか尋ねた。

「是非そうしてちょうだい。サリーと言えば分かるわ」

3か月後、僕はシアトルに戻った。電話番号案内には違う声が応えたので、僕はサリーをお願いした。

「あなた、お友達?」
「はい、ずっと昔からの」
「それなら、お教えするわ。サリーはここ数か月パートタイムで働いていたの。彼女病気だったのよ。5週間前に亡くなったわ」
 
僕が電話を切ろうとすると、その声は慌てて言った。

「待って、あなたポールって言ったわよね?」
「はい」

「サリーがあなたにメッセージを残しているわ。ここに書いてあるから、今読むわ。『彼にこう言って。別の世界で歌っているわ。それで分かるから』」

僕は電話口にお礼を言って切った。もちろんサリーの言っている意味が分かった。


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2013年7月15日月曜日

それはあなたです


それほど前ではないある日、ミズーリ州のセントルイスにある大会社の従業員たちが、
昼休みから戻ると、正面ドアに貼紙がしてあった。
 
そこには、「昨日、この会社であなたの成長を妨げていた人が亡くなりました。ジムに
用意された部屋で告別式を行っていますのでご参列ください」と書かれていた。

皆、最初は、同僚の誰かが死んだと聞いて悲しんでいたが、しばらくすると、一体誰なのだろうとそわそわし始めた。
 
最後のお別れのためにジムに近づくにつれ、従業員たちの興奮は高まった。
「成長を妨げていた人物って一体誰なんだろう?少なくとも、もうここにはいなくなった
みたいだけど」

従業員たちは、一人ずつ棺に近づいて中をのぞき込み、それと同時に言葉を失った。
棺のそばに立ちはだかり、魂の最も深い部分に触れられたかのように、ショックを受け黙り込んだ。

棺の中には鏡が置かれていた。
中をのぞき込んだ者は皆、そこに映った自分自身を見た。

鏡の傍にはメッセージがあった。
「あなたの成長に制限を加えられるのは、たった一人。それはあなた(・・・)自身(・・)。」

あなたの人生を大きく変えられるのは、あなただけだ。
あなたの幸せや、物事の実現や、成功に影響を与えられるのは、あなただけだ。
あなた自身の助けとなるのは、あなただけだ。

あなたの人生は、上司が変わっても、友達が変わっても、両親が変わっても、恋人が
変わっても、会社が変わっても、変わらない。

あなたの人生は、あなたが変わった時に変わるのだ。自身に対する思い込みを乗り
越え、あなたの人生に責任があるのはあなただけだと気づいた時に。


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http://peacefrompieces.blogspot.com/2010/09/you.html

2013年1月21日月曜日

自分の好きなことを見つけなくちゃ!


これは2005612日、アップル・コンピューターおよびピクサー・アニメーションスタジオの
スティーブ・ジョブスが、スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチである。
~~
本日は、世界でもトップクラスの大学の卒業式に参列できて光栄です。
僕は大学は卒業しませんでした。だから正直なところ、今日が大学の卒業式に最も近づいた日と言えるでしょう。


今日は、皆さんに僕の経験から、三つの話をしようと思います。それだけです。
大したことはありません。たった三つです。
 

一つ目の話は、点と点が線で結ばれる話です。
 

僕は、最初の半年でリード大学の正規のコースからは脱落しました。でも実際に退学するまでさらに1年半ほど聴講していました。では僕はなぜ辞めたのか?

事の始まりは、僕が生まれる前からです。
それは、僕が生まれる前から始まっていたのです。

僕の生みの母親は、若い未婚の大学院生でした。それで僕を養子に出すことにしたのです。

母は、絶対に大卒の人の所に養子にやるつもりだったので、僕が生まれたら弁護士のところに養子に行くよう全ての手筈が整っていました。

でも、僕が生まれて、最後の最後になって、この夫婦は実は女の子が欲しかったと気づいたのです。
 

それで順番待ちのリストに載っていた僕の両親は、真夜中に「ちょっと予定が狂った男の赤ちゃんがいるんですが、養子に欲しいですか?」という電話を受けたのです。

僕の両親は「もちろんです!」と答えました。


生みの母は、後に、養母が大学を卒業しておらず、養父は高校も卒業していないことを知りました。母は、養子の最終承諾書類にサインすることを拒みました。数ヵ月後、僕の里親が、僕を必ず大学にやると約束してようやく折れたのです。

 そして17年後、僕は確かに大学に進学しました。でも僕は世間知らずで、このスタンフォード大学と同じくらい授業料の高い大学を選んだのです。


賃金労働者だった僕の両親の貯金はすべて大学の授業料につぎ込まれました。

しかし6ヶ月経っても僕は大学の価値が分かりませんでした。自分の人生で何をやりたいのかも分からなかったし、大学がそれをみつけるのに、どう役立つのかも分かりませんでした。それなのに、両親がそれまでに貯めたお金を全部使っていたのです。

だから、大学の正規コースは辞めて、それでも全てはうまく行くと信じることにしました。当時はけっこうヒヤヒヤしましたが、振り返ってみれば、最高の決断の一つでした。すごくいい決断でした。
 

正規コースは辞めると決めたとたん、面白くない必修科目を取る必要がなくなりました。そして、面白そうなクラスを聴講し始めたのです。

でもそんなにすばらしい生活とはいえませんでした。大学の寮に入っていなかったので、友達の部屋の床で寝て、1つ5セントのコカコーラのボトルを集めて食費にあてていました。

そして、日曜の夜には、ハーレ・クリシュナ寺院での週に1度のおいしい食事にありつくために、街の反対側まで7マイル(約11.3キロ)の距離を歩きました。とってもおいしかったですよ。

そしてこの時、好奇心と直感にしたがってばったり出くわしたものが、あとから非常に価値のあるものになりました。

一つ例を挙げましょう。

 当時リード大学は、多分国内でも最もすばらしいカリグラフィー(文字を美しく見せるための手法)の指導を行っていました。
キャンパス内のポスターや引き出しのラベルはどれも美しい手書きのカリグラフィーを用いていました。

正規コースから外れ、普通科目を取らなくても良かったので、僕はカリグラフィーのクラスを取って、どのようにするのか学ぶことにしました。

僕はセリフ書体やサンセリフ書体について学びました。また、文字の組み合わせによってスペースを変えることも学びました。また何がタイポグラフィー(印刷術における文字の体裁を整える技芸)を素晴らしくするのかも学びました。

カリグラフィーは美しく、歴史があり、化学では捉えられないような、微妙な芸術的なニュアンスがあり、僕はとてもすばらしいと感じたのです。

 しかしこういったことが、僕の人生で実際に役に立つとは、ほんのかけらほども思っていませんでした。


ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計している時、こういったことが全て甦ってきたのです。そしてすべてをマックの設計に含めたのです。

マックは文字が美しく印刷される最初のコンピュータでした。

もし私が大学で、あのたった一つのコースを聴講しなければ、マックはいくつもの書体やスペースが計算されたフォントを持つことはなかったでしょう。

そして、ウィンドウズはただマックの真似をしただけですから、そういった機能を持つパソコンはこの世に生まれなかったでしょう。

もし私が正規コースを脱落しなければ、カリグラフィーのクラスの聴講はしなかったでしょうし、パソコンは今のように美しく文字を印刷しなかったかもしれない、ということです。

もちろん、大学にいた頃は、先を見越して点と点を結ぶなどということは不可能でした。ですが、10年後に振り返ってみると、その点と点のつながりがはっきりと見えたのです。

繰り返しになりますが、先を見越して点と点を結ぶことは出来ません。あとから振り返ってみてようやくつなぐことが出来るのです。

ですから、点と点というのは、将来何らかの形でつながるのだと信じてください。

皆さんは、何かを信じなければなりません。直感、運命、生き方、カルマ、など何でもいいのです。

私は、今まで信じて、期待はずれの結果に終わったことはありませんよ。信じることは、私の人生に大きな違いをもたらしてくれました。
 

二つ目の話は、愛と損失についてです。
 

私はラッキーでした。人生の早い時期に好きなことを見つけました。Wozと私は、私が20歳のときに、両親のガレージでアップルを始めました。

懸命に働いて、10年後にはガレージに私たちたった二人だったのが、4,000人の従業員を持つ20億ドルの会社に成長したのです。

その1年前に、最高の作品であるマッキントッシュを発表していて、私は30歳になったばかりでした。そうしたら解雇されました。

自分が始めた会社からどうやって解雇されるかって?

それはですね、アップルが成長してきた際、一緒に会社を経営するにふさわしいと思えた人を雇ったわけです。

最初の1年くらいはうまくいきました。でも私たちの将来像が分かれてきて、結局仲たがいをしました。

そうなった時、会社の取締役会は彼の側に付いたのです。それで30歳にして職を失いました。それもとても公然と失いました。自分が大人になってからの人生の焦点だったものを失い、打ちのめされました。

数ヶ月間は、どうしたらよいのか本当に分かりませんでした。

前の世代の企業家を失望させた、バトンを渡された際に落としてしまったと思いました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、ひどくめちゃくちゃにしたことを謝ろうとしました。

私は世間に知れた敗北者で、シリコンバレーから逃げだそうかとさえ思いました。

でもゆっくりと分かり始めました。私はそれでも自分のしていたことが大好きだったんです。

アップルでの情勢の変化もそれを少しも変えはしませんでした。だから、もう一度やり直すことにしたんです。
 

その時は分かりませんでしたが、アップルから解雇されたのは、私にとって最高の出来事だったと分かりました。

成功していなければならないという重荷は、初心者に戻った気軽さに変わり、すべてはあまり確かでなくなりました。

そんな状況は、私の人生で最もクリエイティブな時期へと自分を解放させました。
 その後の5年間、私はNeXTPixarという二つの会社を設立し、後に私の妻となる素晴らしい女性に恋をしました。


ピクサーはトイストーリーという世界初のCGアニメーション映画を手がけることになり、今や世界でも最も成功しているアニメスタジオになっています。

そして、驚くべき情勢の変化で、アップルはNeXTを買収し、私はアップルに返り咲きました。NeXTで開発した技術は、アップルでの現在のルネッサンスの核心となっています。

そして、ローリーンと私はすばらしい家族を作りました。
 

もしアップルから解雇されなければ、こんなことは何一つ起こらなかったでしょう。

ひどく苦い薬でしたが、患者にはそれが必要だったのだと思います。時に人生は、頭をレンガで直撃してきます。

でも信念を失わないでください。私がやってこられたのは、自分がやっていることが本当に好きだったというただそれだけのことだと確信しています。

だから、あなたたちも自分が本当に好きなことを探すべきです。これは、仕事に関しても恋愛に関しても同じです。

仕事は人生の大きな部分を占めることになるので、心底満足したければ、すばらしいと思う仕事をすることです。

もしまだ見つかっていなければ、探し続けてください。止めてはいけません。すべての物事がそうであるように、見つけた時にそれだと分かります。

そして、すばらしいお付き合いというのはみなそうですが、年月が経つに連れてどんどん良くなっていきます。

ですから、見つかるまで探し続けてください。探すのを止めてはいけません。

 三つ目の話は、死についてです。
 

私は17歳のときに、「もし毎日をこれは人生で最後の日だと思って暮らせば、
いつか必ずそれが正しくなる」というような引用文を読みました。

その言葉は心に焼き付いて、それ以来33年間、毎朝鏡を見て、自分に問いかけてきました。「もし今日が人生で最後の日なら、今日これからしようとすることがしたいだろうか?」

そしてもしその答えが「ノー」である日が続けば、何かを変えなければならないと自覚しました。
 

自分はまもなく死ぬんだと意識することが、人生で大きな選択をする際に、これまでで一番役に立ちました。

なぜなら、ほとんどすべて、外部からの期待だとか、プライドだとか、失敗や恥をかくことへの恐怖だとか、そういったものは死を目の当たりにすると剥がれ落ち、本当に大切なものだけが残るからです。

私にとって、自分はまもなく死ぬんだと意識することは、自分は失うものがあると思ってしまう罠に引っかからないための最善の方法です。あなたはもう裸なのです。ですから、自分の心に従わない理由はありません。

1年前、私はガンだと診断されました。

朝の7時半にスキャンをとったのですが、そこにはすい臓の腫瘍がはっきりと写っていました。

実は私はすい臓というのが何なのかも知りませんでした。

医者は、これはほぼ間違いなく治療不可能な種類のガンで、余命は3~6ヶ月だと言いました。医者は私に、家に帰って身の回りの整理をするよう言いました。医者がこう言うのは、死を迎える準備をしろということです。

それは、子どもたちに教えるのにあと10年あると思っていたことを全て、わずか数ヶ月で教えようとすることを意味します。また
、家族ができるだけ大変な思いをしないように、すべてをきちんと整えるということです。

それは、さようならを告げることです。
 

私はこの診断と1日付き合いました。その日の夕方おそく、私は生体検査を受けました。私の喉から内視鏡を入れ、胃と腸を通ってすい臓に針を刺し、腫瘍のサンプルを取りました。

私は落ち着いていましたが、その場にいた妻が言うには、顕微鏡でサンプルを観察した医者たちは、手術で治療が可能な珍しい種類のすい臓がんであると分かって、ホッとして泣きだしたそうです。

これが私が今までで最も死に近づいた経験です。できればあと数十年は、これが最も近い経験であることを祈っています。

この経験を通して、死というものが、有益な単なる知的概念だった時より、今はもう少し確信を持って次のことが言えます。

誰も死にたくない。天国に行きたい人でもそのために死ぬのはイヤです。それでも死というのは我々みなが共有する到達点です。逃れられた人は1人もいません。

そしてそれがあるべき姿です。なぜなら死というのは、たぶん生の唯一の、そして最も素晴らしい発明品だからです。

死は生の変化をもたらします。新しいものに道を譲るため古いものを一掃します。

今新しいのはあなたたちです。しかし、今からそう遠くないいつの日か、あなたがたはだんだん古くなり一掃されるのです。大げさかもしれませんが、かなり当たっています。

あなた方の時間は限られています。だから他人の人生を生きて無駄にしないでください。他人の思考の結果に基づく定説に捕われないでください。他人の意見という騒音に、あなたの心の叫びが飲み込まれないようにしてください。

そして最も大切なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。心と直感はなぜだか、あなたがどうしたいのかすでに知っています。他の事はすべてあまり重要ではありません。
 

私が若いとき、「全地球カタログ」というすばらしい出版物がありました。これは、私の世代のバイブルの一つでした。

スチュワート・ブランドという人物によって、このメンロ・パークからそんなに遠くない場所で、彼の詩的なニュアンスが加わって息を吹いたのです。 

1960年代の終わりでしたから、パソコンやデスクトップ出版が出まわる前で、全てがタイプライターやハサミやポラロイドカメラで出来上がっていました。

それは例えればグーグルの書籍版のような感じでした。グーグルが現れる35年前のね。理想主義的で、かっこいいツールやすごいコンセプトに溢れていました。
 

スチュワートと彼のチームは「全地球カタログ」を数冊出し、一通りのことをやって、最終号を出版しました。1970年代の中ごろで、わたしはあなたたちの年頃でした。

最終号の裏表紙は、早朝の田舎道の写真で、冒険心が強い人ならそこでヒッチハイクしているような道でした。

その下には次の言葉がありました。「貪欲であれ。愚かであれ。」これが彼らの最後のメッセージでした。貪欲であれ。愚かであれ。

私はいつも自分がそうであるように祈っていました。そして今、卒業し新たな道を歩み出すあなたたちにもそれを祈っています。
 

貪欲であれ。愚かであれ。


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2011年10月1日土曜日

誰だって


私はショッピングモールの前で車を磨いていた。洗車から戻ってきたばかりで、妻が仕事を終えるのを待っていた。その時、私の方に、世間ではホームレスと考えられる男がやってきた。

身なりからすると、車もなく、家もなく、きれいな洋服もなく、お金も無いようだった。こういう場合、やさしい気持ちになったり、かかわりたくないと思ったりするものだが、今回はかかわりたくない気分だった。「金を恵んで欲しいとやって来なければよいが」と思った。

男はそうは言わなかった。
男は近づいて来て、バス停の前の縁石に腰を下ろしたが、バス代さえも持っているようには見えなかった。しばらくして男が言った。

「いい車じゃないですか。」

男はみすぼらしかったが、威厳を漂わせていた。モジャモジャのブロンド髭は、暖かさ以上のものを男に提供しているようだった。

私は「どうも」と言って、そのまま車を磨き続けた。

私が作業をしている間、男は黙って座っていた。金を乞われるとばかり思っていたが、それは全くなかった。

そのまま二人の間に沈黙が広がると、私の心の中で何かが「助けが必要か聞いてみろ」と語りかけてきた。もちろん男は「必要だ」と言うに決まっている。でも私は心の声に従った。

「何か助けが必要ですか」私はたずねた。

その時、男は私が決して忘れないであろう、素朴だが奥の深い返事をした。

私たちはよく偉人の知恵を求めようとする。それは知恵というのは、多くを学び、偉業を成し遂げた者から来ると信じているからだ。だから、私はただ男の薄汚い手がこちらに差し伸べられるのを期待していた。
だが、返ってきた男の言葉に私は衝撃を受けた。

「それは、みんなそうでしょう?」

12口径のショットガンで打たれたような衝撃だった。それまで私は自分が偉く力があり、成功していて重要で、路上のホームレスなどより優れていると思っていた。

「それは、みんなそうでしょう?」

考えてみれば、確かに私も助けを必要としている。たとえバス賃や寝る場所ではないにしても、確かに必要としているのだ。私は財布に手を伸ばし、バス賃だけでなく、暖かい食事と今晩の宿代に十分なくらいのお金を渡した。ほんの何気ない言葉だったが今でもその通りだと思っている。どれだけたくさん物を持っていようが、成功していようが、誰だって助けは必要なのだ。逆に、自分はほとんど何も持っていなくても、問題をたくさん抱えていても、たとえお金や寝る場所さえなくても、人を助けることはできるのだ。
ちょっとした褒め言葉でも、人に与えることはできる。

もう何もかも全てを持っていそうな人でも分からない。
そんな人でも、彼らが持っていないものが与えられるのを待っているかもしれない。それは、人生の異なる見方だったり、ちらりと美しいものを垣間見ることだったり、雑多な日常からのひと時の休息といった、人それぞれの視点からのみ、うかがうことができるものかもしれない。

その男は単なるホームレスで路上をウロウロしていただけかもしれない。そうではないかもしれない。

偉大で英知のある力により、自己満足しきっている魂の救済にやって来たのかもしれない。

神様がこの世を見下ろし、天使を呼んでホームレスのような格好をさせ、こう言ったのかもしれない、「あの車を磨いている男を助けに行っておくれ、助けを必要としているようだ。」

それは、みんなそうでしょう

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2011年9月19日月曜日

奇跡の値段

テスは、おませな8歳の女の子で、ママとパパが弟のアンドリューの話をしているのを聞いていた。テスに分かったのは、弟は重い病気だが、両親にはお金が全然ないということだった。パパには治療費と家のローンを払うお金がないので、翌月にはアパートに引っ越すことになっていた。今や高額の手術のみが弟を救えるかもしれなかったが、だれもそんなお金を貸してくれそうになかった。パパが涙ぐんでいるママに、「もう奇跡でも起こらない限りは助からないよ…。」とすっかり落ち込んでささやいているのが聞こえた。

テスは自分の寝室に行き、クローゼットの隠し場所からジャムのあきビンを取り出した。テスはそこに貯めていた小銭を床にひろげ、注意深くかぞえた。3回もかぞえなおした。合計金額は正確でなければならない。今回はまちがいは許されない。小銭をあきビンに注意深くもどし、ふたをして、テスは裏口からこっそりと出かた。6ブロック先の、インディアン酋長の看板が目印のレクソール薬局に向かった。

テスは薬剤師が気づいてくれるのをじっと待っていたが、他のことに気を取られているようだ。足で床をこするような音をたててみたが、気づいてもらえない。今度はできるだけ不愉快な音で「エヘン」と喉をならしてみた。やはりダメだ。

ついにあきビンから25セント硬貨を取りだし、ガラスのカウンターの上にバンと音をたてて置いてみた。今度はうまくいった!

「それで、一体なにが欲しいんだい?」薬剤師はイラついた声でテスに聞いた。「もう何年も会ってなかったシカゴの兄さんと話してるところなんだけどね!」とテスの返事も待たずにいった。

「弟のことで来たのよ!」テスは同じようにイラついた調子で答えた。
「弟はとってもとっても重い病気だから、奇跡が欲しいの。」

「何だって?」薬剤師がいった。

「弟はアンドリューというのだけど、頭の中に悪いできものができていて、パパはもう奇跡しかアンドリューを助ける方法はないって言うの。それで奇跡はいくらで買えるの?」

「…ここでは奇跡は売っていないよ、お嬢さん。申し訳ないけどお役に立てないよ。」薬剤師はいくらか口調をやわらげていった。

「ねえ、お金ならあるのよ。もし足りなければ取ってくるわ。だからいくら?」

薬剤師の兄である身なりのよい紳士が、かがみ込んで少女に、「君の弟はどういった奇跡が必要なんだい?」とたずねた。

「良く分からないわ。」テスは目に涙をいっぱいためて答えた。「ただ重い病気でママは手術が必要だと言っているわ。でもパパにはお金がないから私が払ってあげたいの。」

「それで君はいくら持ってるんだい?」シカゴから来た紳士はたずねた。「1ドルと11セントよ」テスはほとんど聞き取れないような声で答えた。「今もっているのは、それで全部。でももっと必要なら何とかするわ。」

「いやあ、偶然だね!」紳士は答えた。「1ドル11セントは弟の奇跡にちょうどピッタリの額だよ。」

紳士は1ドル11セントを片手ににぎりしめ、もう片方の手で手袋をはめているテスの手を握って言った。「君の家につれて行ってくれないか。君の弟とご両親に会いたいんだ。僕が君の必要としている奇跡をもっているか確かめてみよう。」

この身なりの良い紳士はカールトン・アームストロング博士という脳外科医だった。手術は善意で行われ、アンドリューはまもなく元気になって家にもどることができた。ママとパパは現在に至る一連の出来事についてうれしそうに話した。

「あの外科医こそまさに奇跡だったわ」ママはささやいた。「実際はどれくらいお金がかかったのかしら?」

テスは微笑んだ。テスは奇跡がちょうどいくらか知っていた。1ドル11セント、それに小さな女の子の信念だ。

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感謝の授業

ある学業優秀な若者が、大企業の役職に応募した。
若者は面接を通過し、取締役が最終面接を行った。
取締役は履歴書を見て、若者の学業成績が高校から大学院の研究に至るまでずっと優秀で、そうでなかった年は一度もないことを確認した。

「君は、奨学金か何かもらったのですか?」取締役はたずねた。
「いいえ」若者はこたえた。
「では、君のお父さんが学費を払ってくれたのですか?」
「父は僕が1歳のときになくなりました。母が学費を払ってくれたのです。」
「君のお母さんは何をして働いているのですか?」
「洗濯屋として働いています。」
「では、君の手を見せてもらえるかな?」
若者はなめらかな両手を広げた。
「君はお母さんの洗濯を手伝ったことがありますか?」
「いいえ、ありません。母はいつも僕に、勉強してたくさん本を読んでもらいたいと言っていました。それに母は僕より早く洗濯物を洗うことができます。」
「君にひとつお願いがあるのだが、今日家に帰ったらお母さんの手を洗ってあげなさい。そしてあすの朝、またここで会うことにしよう。」

面接後、若者はあともう一息でこの仕事が手に入りそうだと感じた。そこで家に帰ると、喜んで母親の手を洗いたいと申し出た。母親は変な気分だった。息子の申し出はうれしかったが、とまどいを感じながらも両手を差しだした。

若者は、ゆっくりと母親の手を洗った。洗ううちに涙がこぼれてきた。生まれてはじめて、母親の手がもうこんなにしわだらけで、なま傷が絶えないのだと気がついた。いくつかの傷はとても痛々しく、水で洗うと、母親は痛さに身をふるわせた。

若者は、生まれてはじめて、毎日のように洗濯物を洗うこの両手のおかげで学費を払うことができたのだと悟った。母親の両手の傷は、自分が優秀な成績で卒業し、明るい未来を手にするための代償だったのだ。母親の手を洗ったあと、若者は残っていた洗濯物を何もいわずに洗った。その夜、母親と息子は長いあいだ話し合った。

翌日、若者は役員室にでかけた。
取締役は、若者の目に涙が光っているのに気づいた。
「昨日どうしたのか話してもらえますか?」
「母親の手を洗いました。それから残りの洗濯物をすべて洗いました。」
「どういう気分だった?」
「ようやく、感謝ということを学びました。母親なしでは、僕は優秀な学業を修めることはできなかったのです。母親を手伝いながら、ようやく何かをやり遂げるということがいかに難しくて大変なのかがわかりました。家族のきずなの大切さとその価値の重さに感謝するようになりました。」
「そうか、それこそこの仕事に求めているものだったんだよ。私は他人がやる仕事にちゃんと感謝できて、その大変さを分かってあげられて、お金だけを人生の目的にはしないような人が欲しかったんだ。君を雇うことにしよう。」

その後、若者は一生懸命はたらき、部下から尊敬されるようになった。チーム一丸(いちがん)となって懸命にはたらき、会社の業績はすばらしく向上した。

~ ~ ~

いつも守られ、なんでも与えられているこどもというのは、いわゆる「特権意識」を持つようになり、常に自分を優先するようになる。両親の苦労には気づかない。仕事につくと、みなが自分の意見に従うべきだと考え、役職につくと、部下の苦労には気づかず、いつも自分以外の他人を責める。

こういった人間は、学業成績が優秀でしばらくはうまく行ったとしても、そのうち達成感を感じられなくなる。不満と憎しみだらけでもっとたくさん争って手に入れようとする。もし今、自分がこういった過保護な親なら、こどもに愛情を注いでいるのではなく、こどもを台無しにしているのではないだろうか。

大きな家に住まわせ、おいしい食事をあたえ、ピアノを習わせ、大画面のテレビを与えても、草刈などの家の手伝いはやらせよう。

たとえば食事のあとは、きょうだい全員で皿を洗わせてみよう。お手伝いを雇うお金がないからではなく、いくらお金持ちの両親でも、いつかは例の若者の母親のように年を取り、いつまでもめんどうはみられないということをわからせるためだ。

一番大切なのは、こどもたちが、苦労に感謝し、困難に立ち向かい、他人と協力してものごとをやりとげる方法を学ぶことだ。

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