2011年10月1日土曜日

誰だって


私はショッピングモールの前で車を磨いていた。洗車から戻ってきたばかりで、妻が仕事を終えるのを待っていた。その時、私の方に、世間ではホームレスと考えられる男がやってきた。

身なりからすると、車もなく、家もなく、きれいな洋服もなく、お金も無いようだった。こういう場合、やさしい気持ちになったり、かかわりたくないと思ったりするものだが、今回はかかわりたくない気分だった。「金を恵んで欲しいとやって来なければよいが」と思った。

男はそうは言わなかった。
男は近づいて来て、バス停の前の縁石に腰を下ろしたが、バス代さえも持っているようには見えなかった。しばらくして男が言った。

「いい車じゃないですか。」

男はみすぼらしかったが、威厳を漂わせていた。モジャモジャのブロンド髭は、暖かさ以上のものを男に提供しているようだった。

私は「どうも」と言って、そのまま車を磨き続けた。

私が作業をしている間、男は黙って座っていた。金を乞われるとばかり思っていたが、それは全くなかった。

そのまま二人の間に沈黙が広がると、私の心の中で何かが「助けが必要か聞いてみろ」と語りかけてきた。もちろん男は「必要だ」と言うに決まっている。でも私は心の声に従った。

「何か助けが必要ですか」私はたずねた。

その時、男は私が決して忘れないであろう、素朴だが奥の深い返事をした。

私たちはよく偉人の知恵を求めようとする。それは知恵というのは、多くを学び、偉業を成し遂げた者から来ると信じているからだ。だから、私はただ男の薄汚い手がこちらに差し伸べられるのを期待していた。
だが、返ってきた男の言葉に私は衝撃を受けた。

「それは、みんなそうでしょう?」

12口径のショットガンで打たれたような衝撃だった。それまで私は自分が偉く力があり、成功していて重要で、路上のホームレスなどより優れていると思っていた。

「それは、みんなそうでしょう?」

考えてみれば、確かに私も助けを必要としている。たとえバス賃や寝る場所ではないにしても、確かに必要としているのだ。私は財布に手を伸ばし、バス賃だけでなく、暖かい食事と今晩の宿代に十分なくらいのお金を渡した。ほんの何気ない言葉だったが今でもその通りだと思っている。どれだけたくさん物を持っていようが、成功していようが、誰だって助けは必要なのだ。逆に、自分はほとんど何も持っていなくても、問題をたくさん抱えていても、たとえお金や寝る場所さえなくても、人を助けることはできるのだ。
ちょっとした褒め言葉でも、人に与えることはできる。

もう何もかも全てを持っていそうな人でも分からない。
そんな人でも、彼らが持っていないものが与えられるのを待っているかもしれない。それは、人生の異なる見方だったり、ちらりと美しいものを垣間見ることだったり、雑多な日常からのひと時の休息といった、人それぞれの視点からのみ、うかがうことができるものかもしれない。

その男は単なるホームレスで路上をウロウロしていただけかもしれない。そうではないかもしれない。

偉大で英知のある力により、自己満足しきっている魂の救済にやって来たのかもしれない。

神様がこの世を見下ろし、天使を呼んでホームレスのような格好をさせ、こう言ったのかもしれない、「あの車を磨いている男を助けに行っておくれ、助けを必要としているようだ。」

それは、みんなそうでしょう

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