2011年9月19日月曜日

奇跡の値段

テスは、おませな8歳の女の子で、ママとパパが弟のアンドリューの話をしているのを聞いていた。テスに分かったのは、弟は重い病気だが、両親にはお金が全然ないということだった。パパには治療費と家のローンを払うお金がないので、翌月にはアパートに引っ越すことになっていた。今や高額の手術のみが弟を救えるかもしれなかったが、だれもそんなお金を貸してくれそうになかった。パパが涙ぐんでいるママに、「もう奇跡でも起こらない限りは助からないよ…。」とすっかり落ち込んでささやいているのが聞こえた。

テスは自分の寝室に行き、クローゼットの隠し場所からジャムのあきビンを取り出した。テスはそこに貯めていた小銭を床にひろげ、注意深くかぞえた。3回もかぞえなおした。合計金額は正確でなければならない。今回はまちがいは許されない。小銭をあきビンに注意深くもどし、ふたをして、テスは裏口からこっそりと出かた。6ブロック先の、インディアン酋長の看板が目印のレクソール薬局に向かった。

テスは薬剤師が気づいてくれるのをじっと待っていたが、他のことに気を取られているようだ。足で床をこするような音をたててみたが、気づいてもらえない。今度はできるだけ不愉快な音で「エヘン」と喉をならしてみた。やはりダメだ。

ついにあきビンから25セント硬貨を取りだし、ガラスのカウンターの上にバンと音をたてて置いてみた。今度はうまくいった!

「それで、一体なにが欲しいんだい?」薬剤師はイラついた声でテスに聞いた。「もう何年も会ってなかったシカゴの兄さんと話してるところなんだけどね!」とテスの返事も待たずにいった。

「弟のことで来たのよ!」テスは同じようにイラついた調子で答えた。
「弟はとってもとっても重い病気だから、奇跡が欲しいの。」

「何だって?」薬剤師がいった。

「弟はアンドリューというのだけど、頭の中に悪いできものができていて、パパはもう奇跡しかアンドリューを助ける方法はないって言うの。それで奇跡はいくらで買えるの?」

「…ここでは奇跡は売っていないよ、お嬢さん。申し訳ないけどお役に立てないよ。」薬剤師はいくらか口調をやわらげていった。

「ねえ、お金ならあるのよ。もし足りなければ取ってくるわ。だからいくら?」

薬剤師の兄である身なりのよい紳士が、かがみ込んで少女に、「君の弟はどういった奇跡が必要なんだい?」とたずねた。

「良く分からないわ。」テスは目に涙をいっぱいためて答えた。「ただ重い病気でママは手術が必要だと言っているわ。でもパパにはお金がないから私が払ってあげたいの。」

「それで君はいくら持ってるんだい?」シカゴから来た紳士はたずねた。「1ドルと11セントよ」テスはほとんど聞き取れないような声で答えた。「今もっているのは、それで全部。でももっと必要なら何とかするわ。」

「いやあ、偶然だね!」紳士は答えた。「1ドル11セントは弟の奇跡にちょうどピッタリの額だよ。」

紳士は1ドル11セントを片手ににぎりしめ、もう片方の手で手袋をはめているテスの手を握って言った。「君の家につれて行ってくれないか。君の弟とご両親に会いたいんだ。僕が君の必要としている奇跡をもっているか確かめてみよう。」

この身なりの良い紳士はカールトン・アームストロング博士という脳外科医だった。手術は善意で行われ、アンドリューはまもなく元気になって家にもどることができた。ママとパパは現在に至る一連の出来事についてうれしそうに話した。

「あの外科医こそまさに奇跡だったわ」ママはささやいた。「実際はどれくらいお金がかかったのかしら?」

テスは微笑んだ。テスは奇跡がちょうどいくらか知っていた。1ドル11セント、それに小さな女の子の信念だ。

オリジナルへのリンク↓
http://peacefrompieces.blogspot.com/2010/10/how-much-does-miracle-cost.html


 

感謝の授業

ある学業優秀な若者が、大企業の役職に応募した。
若者は面接を通過し、取締役が最終面接を行った。
取締役は履歴書を見て、若者の学業成績が高校から大学院の研究に至るまでずっと優秀で、そうでなかった年は一度もないことを確認した。

「君は、奨学金か何かもらったのですか?」取締役はたずねた。
「いいえ」若者はこたえた。
「では、君のお父さんが学費を払ってくれたのですか?」
「父は僕が1歳のときになくなりました。母が学費を払ってくれたのです。」
「君のお母さんは何をして働いているのですか?」
「洗濯屋として働いています。」
「では、君の手を見せてもらえるかな?」
若者はなめらかな両手を広げた。
「君はお母さんの洗濯を手伝ったことがありますか?」
「いいえ、ありません。母はいつも僕に、勉強してたくさん本を読んでもらいたいと言っていました。それに母は僕より早く洗濯物を洗うことができます。」
「君にひとつお願いがあるのだが、今日家に帰ったらお母さんの手を洗ってあげなさい。そしてあすの朝、またここで会うことにしよう。」

面接後、若者はあともう一息でこの仕事が手に入りそうだと感じた。そこで家に帰ると、喜んで母親の手を洗いたいと申し出た。母親は変な気分だった。息子の申し出はうれしかったが、とまどいを感じながらも両手を差しだした。

若者は、ゆっくりと母親の手を洗った。洗ううちに涙がこぼれてきた。生まれてはじめて、母親の手がもうこんなにしわだらけで、なま傷が絶えないのだと気がついた。いくつかの傷はとても痛々しく、水で洗うと、母親は痛さに身をふるわせた。

若者は、生まれてはじめて、毎日のように洗濯物を洗うこの両手のおかげで学費を払うことができたのだと悟った。母親の両手の傷は、自分が優秀な成績で卒業し、明るい未来を手にするための代償だったのだ。母親の手を洗ったあと、若者は残っていた洗濯物を何もいわずに洗った。その夜、母親と息子は長いあいだ話し合った。

翌日、若者は役員室にでかけた。
取締役は、若者の目に涙が光っているのに気づいた。
「昨日どうしたのか話してもらえますか?」
「母親の手を洗いました。それから残りの洗濯物をすべて洗いました。」
「どういう気分だった?」
「ようやく、感謝ということを学びました。母親なしでは、僕は優秀な学業を修めることはできなかったのです。母親を手伝いながら、ようやく何かをやり遂げるということがいかに難しくて大変なのかがわかりました。家族のきずなの大切さとその価値の重さに感謝するようになりました。」
「そうか、それこそこの仕事に求めているものだったんだよ。私は他人がやる仕事にちゃんと感謝できて、その大変さを分かってあげられて、お金だけを人生の目的にはしないような人が欲しかったんだ。君を雇うことにしよう。」

その後、若者は一生懸命はたらき、部下から尊敬されるようになった。チーム一丸(いちがん)となって懸命にはたらき、会社の業績はすばらしく向上した。

~ ~ ~

いつも守られ、なんでも与えられているこどもというのは、いわゆる「特権意識」を持つようになり、常に自分を優先するようになる。両親の苦労には気づかない。仕事につくと、みなが自分の意見に従うべきだと考え、役職につくと、部下の苦労には気づかず、いつも自分以外の他人を責める。

こういった人間は、学業成績が優秀でしばらくはうまく行ったとしても、そのうち達成感を感じられなくなる。不満と憎しみだらけでもっとたくさん争って手に入れようとする。もし今、自分がこういった過保護な親なら、こどもに愛情を注いでいるのではなく、こどもを台無しにしているのではないだろうか。

大きな家に住まわせ、おいしい食事をあたえ、ピアノを習わせ、大画面のテレビを与えても、草刈などの家の手伝いはやらせよう。

たとえば食事のあとは、きょうだい全員で皿を洗わせてみよう。お手伝いを雇うお金がないからではなく、いくらお金持ちの両親でも、いつかは例の若者の母親のように年を取り、いつまでもめんどうはみられないということをわからせるためだ。

一番大切なのは、こどもたちが、苦労に感謝し、困難に立ち向かい、他人と協力してものごとをやりとげる方法を学ぶことだ。

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