2011年6月26日日曜日

良い日 vs. 悪い日

悪い一日を過ごす方法

寝坊してパニックになる
あわてて支度をする
急いで着替える
朝食抜き
コーヒーのガブ飲み
自分と向き合わない
運動しない
一日の計画を立てない
失敗にこだわる
笑顔が無い
自分勝手でとっつきにくい
批判、非難、文句を言う
マイナス思考
指図、命令、支配する
常にガミガミ言う
失敗を見逃さない
不満を漏らす
昼食抜き
怒りの感情を抱く
常に急いでいる
意思疎通を図らない
独り占めする
明日が心配
融通がきかなく、不機嫌
よくないことを考え、満腹状態で寝る


良い一日を過ごす方法

早起きして急がない
ゆっくりと深呼吸
運動する
5分間自分と向き合う
みんなに挨拶する
笑顔を絶やさない
よく褒める
意思疎通する
自分が話すより人の話を聞く
忠告は気をつけて行う
自分の仕事が光栄だと思う
感謝を表現する
最善を尽くす
変化を歓迎する
首の筋肉をほぐす
息抜きの時間をとる
負の感情は捨て去る
怒りや罪の意識を手放す
仕事は持ち帰らない
成果を振り返る
楽しい計画を立てる
夕食をちゃんと摂る
自分が恵まれていることに気付く
たっぷりの愛情

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「可能」になりたい


先生がクラスの生徒たちに、大きくなったら何になりたいか尋ねた。
教室のあちこちから一斉に答えが返ってきた。

「フットボール選手」「お医者さん」「宇宙飛行士」「大統領」「消防士」「先生」
「カーレーサー」
トミー以外の全員が答えた。

先生はトミーが黙って座っているのに気付いて尋ねた。
「トミー、あなたは大きくなったら何になりたいの?」
「『可能』になりたい」
「『可能』になりたいって?」
「うん、ママがいつも『お前はどうしようもないimpossible)』って言うんだ。
だから大きくなったら、『可能』(possible) になりたいんだ

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言う前に考えよう

今日、思いやりのない一言を言おうとする前に
話すことができない人のことを考えよう

食べ物の味について文句を言う前に
食べ物がない人のことを考えよう

夫や妻について文句を言う前に
切実に伴侶を求めている人のことを考えよう

今日、人生について文句を言う前に
あまりにも早く天国に召されてしまった人のことを考えよう

こどもについて文句を言う前に
こどもが欲しくてもできない人たちのことを考えよう

家の中が汚くて掃除していないと喧嘩をする前に
路上生活を送っている人たちのことを考えよう

長距離運転について愚痴をこぼす前に
同じ距離を歩く人のことを考えよう

疲れて仕事について文句を言う時は
失業中の人や、働けない人、その仕事が欲しいと思っている人たちのことを考えよう

他人を名指しで非難しようとする前に
罪のない人間などおらず、みな神の采配を受けるのだということを思い出そう

気が滅入って落ち込むような時は
笑顔を作って、まだ生きていることに感謝しよう

人生は天からの授かり物
享受し、謳歌し、称賛し
充実させよう

そしてそうしているうちに、今日からでも思いやりを伝えよう
行動や言葉で示そう
思いやりは心の中に閉じ込め、隠しておくものではない
だから、今日から思いやりを伝えよう!

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http://peacefrompieces.blogspot.com/2010/11/think-before-you-speak.html

2011年6月19日日曜日

「友達」それとも単なる「知り合い」?

単なる「知り合い」と「友達」は異なる。「知り合い」とは、名前を知っていて、ときどき顔を合わせることがあって、多分何か共通するものがあり、一緒にいて居心地が良いと感じる人だ。

「知り合い」は家に招いたり、一緒に何かすることは出来るが、人生を分かち合うことはない。そこまでよく知らないので、時にはその行動が理解できない。

一方で、「友達」というのは、愛情を感じる人のことだ。もちろん恋しているわけではないが、いつも気に掛け、そばにいなくても、その人について考えたりする。良く知っているので、好きそうなものが分かり、そういった物を見かけると、その人のことを思い出す。「友達」というのは、写真を持っているような人で、しかしそれとは関係なくその顔が思い浮かぶような人だ。

「友達」は一緒にいて安心できる人だ。気に掛けてくれていると分かっているからだ。電話するのに特別な用事は必要ない。ただ「どうしてる?」と言って電話を掛けてくる。そして初めからお互いに本当のことを話す。また、もし問題があれば、いつでも話を聞いてくれる。

「友達」は、馬鹿にしたり、傷つけたりするようなことはしない。もし傷つけてしまった場合には、一生懸命その埋め合わせをしようとする。「友達」には、例えそうと気付いていなくても、愛情を感じている。

「友達」は、大学に落ちたり、プロムのラストダンスで断られたり、卒業式の際に一緒に泣いてくれた人だ。ハグする時にどれくらいの間とか、どちらが先に離せば良いかなどと考える必要のない人たちだ。

「友達」は、結婚式では、指輪を持っていてくれるかもしれないし、新郎へ引き渡してくれるかもしれない。もしかすると結婚する人かもしれない。それとも、幸せのあまり、または感激のあまり、泣いてくれているかもしれない。

「友達」は、間違いを犯すのを止めてくれ、もし間違ってしまった場合には手助けしてくれる。ぎこちなくならずに、手を握ったり、ハグしたり、キスしたりすることができる。「友達」はそんなあなたが好きで、それを理解してくれる。

「友達」はずっとそばにいて、手を離さない。お互いの人生を見守り、お互いにそこから学ぶ。そんな「友達」無くしては、人生は同じではない。

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優先事項

哲学の教授が、教壇の上にいくつか物を並べ、クラスの前に立っていた。授業が始まると、教授は無言で大きな空っぽのマヨネーズの瓶を取り上げ、それを直径5センチくらいの大きさの石で一杯にした。

それから生徒に、「瓶はいっぱいになりましたか?」と尋ねた。
生徒は「いっぱいです」と答えた。

次に教授は小石を取り上げ、瓶に注ぎ込んで軽く振った。小石はもちろん石と石の間のスペースに転がり落ちていった。

それから生徒に再び、「瓶はいっぱいになりましたか?」と再び尋ねた。
生徒は「いっぱいです」と答えた。

次に教授は砂の入った箱を取り上げ、瓶に流しこんだ。もちろん、砂はまだ埋まっていなかったスペースをすべて埋めつくした。
それから生徒にもう一度、「瓶はいっぱいになりましたか?」と尋ねた。
生徒は口を揃えて「いっぱいです」と答えた。

「では、この瓶が、皆さんの人生を表していると考えてみてください。石は大切なものを表しています。例えば家族やパートナー、こども、健康、といったものです。つまり、他のものを全て失ったとても、これさえ残っていれば人生がまだまだ満たされているようなものです」教授は言った。

「小石はその次に大切なものです。例えば仕事や家、車などです。そして、砂はその他もろもろです。つまり、些細なことです。」教授は続けた。

「もし皆さんが、砂を先に詰めてしまうと、小石や石の入る隙間が無くなってしまいます。皆さんの人生も同じことです。もしすべての時間とエネルギーを些細なことに使ってしまえば、自分にとって大切なことをする余裕は全くなくなってしまうでしょう。自分の幸せにとって、本当に大切なことに集中しましょう。こどもたちと遊んで、パートナーとの時間を作りましょう。仕事に行く時間や、掃除の時間、ディナーパーティや、台所のシンクを修理する時間はいくらでもありますよ。まず石に心を配りましょう。つまり、本当に大切なことにです。優先事項を決めましょう。残りはただの砂ですから。」

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愛してる


夫婦は結婚して長い年月が経っていた。世の常のごとく、それなりに山あり谷ありの夫婦だった。ある日、夫が仕事ばかりしているので大喧嘩になり、物事がうまくゆかなくなった。夫は落胆し、妻は憤慨していた。

一週間妻に口をきいてもらえなかったので、夫は紙と鉛筆を持って妻に近寄り、「二人ともダイニングテーブルに着いて、お互い気に入らないところを書き出そう。書き終わったら交換して、それについて話し合おう」と提案した。

山ほど不満があったので、さっそく妻は、夫を見あげる間もなく書き始めた。
夫はそんな妻をじっと見つめてから書き始めた。
15分後、二人はお互いに顔を見合わせ、紙を交換した。

夫は不満でびっしりの紙を見つめた。妻は憤慨していた。しかし妻は夫の紙を見たとたん、ハッとして自分の書いた紙をすばやく破り捨てた。夫の紙には、2ページに渡りぎっしりと次のように書かれていた。

「愛してる」



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2011年6月1日水曜日

中華料理店の女主人

私の留学していたアメリカの小さな町に1件の中華料理屋があった。
学校からわりと近い上に、ここのワンタン入り中国風ラーメンは3ドル95セントと財布にやさしい値段だったので、ラーメンが食べたくなると良く行っていた。

しかし、この店の中国人の女主人は結構怖かった。いつも忙しそうで、ぶっきらぼうな物言いで、私が店に入ると、必ず座る席を指定する。他の席に座ってみても「こっちの方がいい。」と強引に移動させられる。それは窓際の席だったので、私はきっと、店にお客がいるのを通りがかりの人に見せたいのだな、と思っていた。この女主人さえ気にしなければラーメンはおいしいので、私はめげずに食べに行き、いつも窓際の席に座らされていた。

そんなある冬、この町が10数年ぶりの大雪に見舞われた。学校が1週間休校になり、私は雪かきに明け暮れた。私は雪国の出身で、こどもの頃にイヤというほど雪かきを手伝わされたのに、温暖なこの町に来てまで雪かきをする羽目になるとは、何とも納得がいかなかった。ようやく雪が止んだ2日目、3時間ほど雪かきをすると、またあのワンタン入りラーメンが食べたくなった。

こんな日に営業しているだろうか?と思いつつ、とりあえずは行ってみることにした。
店に着くと、従業員らしい人が店の前で雪かきをしていた。店は開いていたので覗いてみると、さすがに店にお客はいなく、例の女主人が珍しく暇そうに、私の指定席である窓際の席にぼんやりと座っていた。今日は営業していますか、と尋ねると、自分たちは近くに住んでいるので毎日雪かきに来て店を開けている、と言った。そして、その席から立ち上がり、私に座るように勧めた。私はすこし遠慮して、でもあなたがそこに座っているのなら…、と言うと、いいや、私はただ少しばかり手の空いた時に、この席に座って、外の景色や行き交う人々をぼんやりと眺めるのが好きなのさ、と言った。

その瞬間、私はそうか、そういうことだったんだ、とようやく気がついた。この人の物言いや振る舞いがあまりにそっけなくて分からなかったけれど、この人は、これまでずっと、自分の一番お気に入りの席を勧めてくれていたんだ

そこに座って眺めると、雪化粧のせいもあって、外がいつもより数段まぶしく感じられた。