2011年5月7日土曜日

おいしいケーキはいかが?




よく私たちは、「何も悪いことをしていないのに、こんな目に遭うなんて!」とか
「神様はなんで私をこんな目に遭わせるのだろう。」と思うことがある。
ここにその素晴らしい説明がある!

ある若い娘が母親に、
「代数は単位を落としそうだし、ボーイフレンドには振られるし、親友は引っ越しちゃうし、もう散々よ!」と言った。

その時、母親はちょうどケーキを焼いていたので、娘に、「何か食べる?」とたずねた。
娘は、「もちろん!ママのケーキ大好きよ。」と答えた。

「じゃあクッキングオイルをどうぞ。」母親がすすめた。
「何言ってんの?」娘が言う。

「じゃあ生卵なんかはどう?」
「気持ち悪い!」

「それなら、小麦粉はどうかしら?それともベーキングソーダ?」
「ママ、全部食べられないって!」

それに対し母親は答えた。
「そうね、どれもみんなそのままじゃおいしくないわね。
でもちゃんと混ぜれば、素晴らしくおいしいケーキになるでしょう!
神様のなさることも同じなのよ。
よく人間は、『神様はどうして私たちをこんなにひどく苦しい目に遭わせるのだろう』
って思うでしょ。
でも神様のレシピに従えば、ちゃんとうまくいくって分かっていらっしゃるのよ。
私たちはただ神様を信じなくちゃ。そうしたら、そのうち何かステキなものになるのよ!」

オリジナルへのリンク
http://peacefrompieces.blogspot.com/2011/03/have-piece-of-cake.html

なんで私がこんな目に?


アーサー・アッシュは伝説のウィンブルドン・テニスプレーヤーだったが、エイズのため、まもなく死を迎えようとしていた。

彼は、1983年に心臓手術で輸血した際、エイズウイルスに感染した。

世界中のファンから手紙がきた。その中には、「なぜ神はわざわざあなたを選んでこんなひどい病気にしたんでしょう!」と書かれたものもあった。

これに対しアーサー・アッシュは次のように答えた。

「世界中で5千万人の子どもがテニスを始める。そのうち5百万人が実際にテニスを習いに行く。そのうち50万人がプロになる練習をして、そのうち5万人が国際ツアーに出場する。
 
さらに、そのうち5千人が4大大会まで到達し、そのうち50人がウィンブルドンにたどり着く。そのうちの4人が準決勝に残り、決勝までたどり着くのはたったの二人だけだ。

ウィンブルドンで優勝カップを掲げていた時、私は神に『なんで私がこんな目に?』とは、決して言わなかった。

だから今、苦痛に苛まされていても、『神よ、なんで私がこんな目に?』と言うべきではないんだよ。」
 
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体の中で一番大切な部分

ママはよく私に、体の中で一番大切な部分はどこか、と尋ねてきた。
長い年月の間、私は正しいと思う答えを当ててみた。

まだ幼かった頃、音というのは人間にとってとても重要に思えた。
そこで私は、「耳でしょ、ママ?」と答えた。

ママは、「いいえ、耳の聞こえない人はたくさんいるでしょ。でもまた近いうちに聞くから考えておいてね。」と言った。

ママが次にその質問をしたのは数年経ってからだった。私は、最初のチャレンジの後、正しい答えを考えてきた。

それで今回は、「ママ、目が見えるっていうのは誰にとっても大切でしょ。だから絶対に目だと思う。」と答えた。

ママは私を見つめて、「おまえはどんどん賢くなっているけど、まだ正しい答えじゃないわ。だって、目の見えない人はたくさんいるでしょ。」と言った。

また間違えてしまった。でも私は答えを探求し続けた。ママは何度か同じ質問をしてきたが、答えはいつも決まって、「違うわ、でもおまえは毎年賢くなっているわね。」というものだった。

そんなある年、祖父が亡くなった。みんなショックで泣いていた。あの父でさえ泣いていた。父の涙を見たのはまだ2度目だったから、とてもよく覚えている。

祖父に最後のお別れを言う時になって、ママは私を見た。そして「体の中で一番大切なのはどこかもう分かった?」と聞いてきた。私はこんな時に聞かれたのでビックリした。なぜなら、これはママと私のゲームみたいなものだずっとと思っていたからだ。

私が困った顔をしているのを見て、ママは「大切な質問なの、おまえが本当に人生を歩んできたかどうかが分かるから。これまでに答えた体の部分については、どれも間違っていて、その理由も一緒に教えてあげたけど、今日こそおまえがその答えを学ぶべき時ね。」

ママは母親だけができる眼差しで私を見つめた。ママの目は涙で溢れんばかりになっていた。「体の中で一番大切な部分はね、肩なのよ。」

「えっ?それは、肩で頭を支えているから?」私は尋ねた。

「違うわ。それはね、肩が泣いている友達や愛する人の頭を支えてあげられるからよ。人生には誰でも人の肩にすがって泣きたい時が訪れるのよ。だからママは、おまえが十分な愛と友情を授かって、その時が来たら、いつでも誰かの肩にすがって泣けるよう祈っているわ。」

その時、私は体の中で一番大切な部分というのは、自分本位なものではないのだと悟った。それは、自分以外の人のためにあり、自分のためではない。人の痛みに共感するためなのだ。

人はあなたが言ったことを忘れるだろう。したことも忘れるだろう。でもあなたに触れたぬくもりは決して忘れない。


オリジナルへのリンク
http://peacefrompieces.blogspot.com/2011/04/most-important-part-of-body.html

見逃しているものは?

場面

1月のある寒い朝、ワシントンDCのメトロ(地下鉄)駅。彼はバッハの作品6曲を1時間ほどかけて演奏した。

その間、およそ2,000人が駅を通り過ぎた。ほとんどの人は仕事に向かう途中だった。

3分後中年の男性が音楽家の演奏に目をとめた。彼は歩くペースを落とし、ほんの数秒間立ち止まったが、予定に遅れないよう先を急いだ。

4分後:このバイオリン奏者は最初の1ドルを受け取った。女性がお金を投げ入れたのだが、立ち止まることなくそのまま行ってしまった。

6分後:若い男性が演奏を聞こうと壁に寄りかかっていたが、時計を見てまた歩き出した。

10分後:3歳くらいの男の子が立ち止まった。母親は急いでその子を引っ張ったが、子どもはバイオリン奏者に見とれていた。とうとう母親がその子を強く引っ張ったので、子どもはずっと振り返りながら歩いて行った。
他にも似たようなことをした子どもが何人かいたが、親はみな例外なく子どもを先に急がせた。

45分後:音楽家は演奏し続ける。だがしばらく立ち止まって聞いていったのは、たったの6人だった。
およそ20人がお金を入れたが、ペースを崩さずそのまま歩き続けた。
音楽家は32ドルを集めた。

1時間後:音楽家が演奏を終え、辺りは静まりかえった。しかし誰も気にとめず、拍手する人もおらず、そのすばらしさに気づく人もいなかった。

誰にも知らされていなかったが、このバイオリン奏者はジョシュア・ベルという世界有数の音楽家だった。
彼は複雑な音楽作品を、350万ドル相当(約2億7千万円)のバイオリンで演奏していた。
ちなみにこの2日前、平均100ドルほどするジョシュア・ベルのボストン公演チケットが完売していた。

これは本当にあった話だ。ジョシュア・ベルのお忍び演奏は、ワシントンポストが、ものの感じ方や好み、優先事項などに関する社会的実験の一部として行ったものだった。

問い

ありきたりな環境で、不適切な時間に、私たちは美を認識するものなのだろうか。立ち止まってその素晴らしさを感じられるのだろうか。予期しない状況で才能を認められるものなのだろうか。


実験から考えられる結論:
すぐれた音楽作品を美しい名器で奏でる世界有数の音楽家にさえ、立ち止まって耳を傾けようとしないのであれば、私たちは他に一体どれだけ多くのことを見逃しているのだろう?

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真実の愛


ある忙しい朝の8時半ごろのことだった。80代半ばの紳士が親指の抜糸にやってきた。
紳士は、「9時に約束があって、急いでいるのですが」と言った。


私は、彼の血圧や心拍数をはかり、「すわってお待ちください」とは言ったものの、あと1時間は誰にも診てもらえないと分かっていた。だが、彼が時計を気にしているのを見て、他の患者で忙しいわけでもないので、ケガを診察することにした。


見てみると傷はすっかり良くなっていたので、他の医者に言って、抜糸とその後の処置に必要な器具をそろえた。傷の手当をしているあいだ、「そんなにお急ぎなのは、今朝ほかにも医者のご予約がおありなんですか?」とたずねた。紳士は、「そうじゃないのですが、養護施設で妻と朝ごはんを食べる約束をしているのです。」とこたえた。


「奥さんはお元気ですか?」
「妻はアルツハイマー病なのです。もうかなりの間そこに入院しています。」
「…では、もしあなたが少しでも遅れて行ったら、奥さんは怒るのですか?」
「…妻はもう私が誰だか分からないのです。もう5年もそんな状態です。」


私は驚いて紳士に、「それでもあなたはいつも遅れずに、時間通りに会いにいくのですか?もう奥さんにはあなたが誰か分からないのに?」とたずねた。


紳士は、私の腕を軽くたたいて、ほほえみながら言った。
「妻には私が誰だかわからなくても、私は妻がどういう人間か知っていますから。」


彼が立ち去るまで、私は涙を必死でこらえた。とり肌が立って、「これこそ人生で求める愛の形だ!」と思った。


真実の愛とは肉体的なことでもロマンチックなことでもない。真実の愛とは、過去も現在も未来もそのままを受けいれることだ。たとえ、望んでいなかった未来でも。


人生においては、こういった小さな愛のつみかさねこそ、本当に重要なのだ。




オリジナルへのリンク↓
http://peacefrompieces.blogspot.com/2011/02/true-love.html